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永郞の麒麟

Posted March. 13, 2019 08:04,   

Updated March. 13, 2019 08:04

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「黒い壁にもたれかかって/太陽が二十回変わったが/私の麒麟は永遠に泣くことができない」。永郞(ヨンラン)・金允植(キム・ユンシク)の暗鬱で凄然な詩「コムンゴ(琴)」はこのように始まる。麒麟は、琴の孤高な音色と姿を示す隠喩だ。その麒麟が、20年前に鳴いてもはや鳴くことができなくなっているとは何を意味するのか。この詩が発表されたのが1939年だったので、20年前は1919年だ。

3・1万歳運動が起きた時、永郞はソウルにある徽文(フィムン)義塾(現在の徽文高校)に通っていた。独立運動の影響で学校が休校になると、永郞は故郷の江津に行き、学生運動を図って捕まり、数ヵ月間大邱(テグ)刑務所に拘留された。20年が経ったが、現実はさらに暗鬱だった。「外は荒々しい狼が群れをなし/人のように猿の群れがうろつき/私の麒麟は心も身も寄せる所がなくなる」。狼と猿の群れで比喩される日本人と親日派が大手を振るう世の中で、琴、すなわち芸術や民族の自由の場所はなかった。

信天(シンチョン)・咸錫憲(ハム・ソクホン)の『意味からみた韓国の歴史』を引用すると、「この国の知事、思想家、宗教家、教育者、知識人、文人は神社参拝しろと言われれば腰が折れるかのようにし、姓を変えろと言われれば先を争って」した。永郞はそれを拒否し、詩「毒を秘めて」が語るように厳格に生きた。そして、絶筆を選んだ。永郞は1940年の「春香」を最後に光復(解放)まで一編の詩も発表しなかった。

1946年、東亜(トンア)日報に発表した「チジェ」は、絶筆後の初の詩だった。「君の音が出るように私の太鼓を叩け」で始まる詩で、詩人は、自ら太鼓を叩き、歌い手と一緒に「秋のように成熟した」人生の賛歌を歌った。麒麟、いや琴も安心して音を出し始めた。国を取り戻し、琴も取り戻し、太鼓も取り戻し、希望も取り戻したのだった。その永郞が昨年、独立有功者に与えられる建国褒章を授与された。遅きに失した感はあるが当然のことだ。

文学評論家・全北(チョンブク)大学教授


パク・ウンソン記者 sunney73@donga.com