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ロシアの明太と南山のヤシの木

Posted February. 09, 2019 08:46,   

Updated February. 09, 2019 08:46

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民族の大名節である旧正月が過ぎた。昔から旧正月には、様々な料理を準備し、先祖に一年の開始を知らせ、親戚が集まって食事をし、情を分かち合う。伝統どおりなら、旧正月の前日、家族が集まって、祭祀の料理を準備するが、最近ではオンラインで購入したり、レシピどおりに作れば完成するミールキット(食材セット)で作ったり、ホテルのケータリング(料理出張サービス)を利用するなど様相は一変した。このような変化も驚くべきだが、何より変わったのは、祭祀の料理や食材の産地が変わったことだ。

首都圏の祭祀でよく目にする明太ジョン(小麦粉をつけて焼いた料理)は産地が変わった代表的な料理だ。1970、80年代には「国民の魚」と呼ばれた明太は、2000年代に入って国内で見ることが難しい魚になった。実生活で感じられない理由は、ロシア産の輸入明太が国内産の穴を埋めたからだ。明太が国民の魚のタイトルを明け渡すことになった理由は、乱獲と地球温暖化による韓半島付近の水温の上昇が挙げられる。特に、東海(トンへ・日本海)は、地球の海洋の平均より約1.5倍早く水温が上昇している。寒帯性魚種である明太の産地が変わりつつある。

紅東白西の「紅」に該当するりんごも産地が変わった。りんごは大邱(テグ)を中心とする慶山(キョンサン)、霊泉(ヨンチョン)、慶州(キョンジュ)など慶尚北道(キョンサンプクト)地域が主な産地だ。しかし最近、この地域のりんごの栽培面積が減少した一方、旌善(チョンソン)、寧越(ヨンウォル)、楊口(ヤング)など江原道(カンウォンド)の山間地域で増え、市場で江原道出身のりんごを目にするようになった。さらなる祭祀の料理の主人公である果物の甘柿も慶尚南道(キョンサンナムド)金海(キムヘ)、昌原(チャンウォン)、密陽(ミルヤン)から慶尚北道浦項(ポハン)、盈徳(ヨンドク)、漆谷(チルゴク)に栽培地域が広がった。

目で見ることができる食材だけでなく、唐辛子、にんにく、ねぎ、玉ねぎのような料理の下材料も産地が変わりつつある。全羅南道(チョンラナムド)務安(ムアン)や慶尚南道昌寧(チャンニョン)など南部地方が主な産地である玉ねぎは、地球温暖化によって全羅北道(チョンラプクト)や忠清道(チュンチョンド)だけでなく、京畿道(キョンギド)一円まで生産が可能になった。代表的な場所が忠清南道(チュンチョンナムド)唐津(タンジン)だ。忠清南道の最北端に位置する唐津は、伝統的なコメ農作地域だったが、玉ねぎの生産が可能になり、農家の収益多角化の主人公に浮上した。

地球温暖化が問題に浮上した時、気象専門家の間で、愛国歌の「南山(ナムサン)の上のあの松」という一節が「南山の上のあのヤシの木」に変わるかも知れないという笑い話があった。旧正月の祭祀の料理で見るように、食の好みの変化なく玉ねぎや明太が食卓に出ているが、知らないうちに産地が南部地方から中部地方に、さらに韓国からロシアに変わった。当時の笑い話が、今や現実になりつつあるのだ。地球温暖化に積極的に対処しなければ、祭祀の料理の産地だけでなく、祭祀の料理自体が変わるかも知れない。

「家出した明太を探しています」。数年前、政府が明太を探すために掲げた懸賞金ポスターの言葉だ。4年間続いた明太の人工受精と放流事業を通じて、国産明太の発見の知らせが少しずつ聞こえている。地球温暖化に積極的に対応した事例と評価されるだろう。このような事例のように祭祀の料理の生態系を保全するためにも、天候の経営が必要な時代になった。


シン・ムギョン記者 yes@donga.com