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慈愛深くて温厚な李始榮

Posted January. 25, 2019 09:07,   

Updated January. 25, 2019 09:07

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独立運動家であり、大韓民国初代副大統領だった省齋・李始榮(イ・シヨン)は、鰲城大監(オソンテガム)と呼ばれた白沙・李恒福(イ・ハンボク)の10代目の直系子孫である。李恒福家は6人の領議政と1人の左議政を輩出した朝鮮最高の名門家だった。先生は早くから役人生活を始め、平安南道(ピョンアンナムド)観察使、漢城(ハンソン)裁判所長などの要職を歴任した。

国を奪われると、コンヨン、ソクヨン、チョルヨン、 會榮(フェヨン)、 始榮(シヨン)、ホヨンの6人の兄弟と家族50人余りは全財産を処分して中国に亡命し、抗日闘争に乗り出す。当時処分した財産は、現在時価で2兆ウォンに達するという。先生は、兄である李会榮と一緒に独立軍養成学校である新興(シンフン)講習所の設立に主導的役割を果たし、李会榮、李東寧(イ・ドンニョン)と大韓民国臨時政府の樹立に参加し、法務総長、財務総長を務めた。長い亡命生活中に、5人の兄弟は中国の地ですべて死亡し、先生だけが生き残り、独立した祖国に帰ってきた。

先生の字からは飾り気のない無邪気さが感じられる。一言で大巧若拙という言葉のように流麗ではないが、技巧を気取らず、一見すれば、たどたどしいようだが、頻繁に接すれば、月光に梅の香りが漂うようにほのかな味を感じることができる。文字のスピードは遅いが、これは正確で几帳面で思慮深いが、即興性の足りなさを意味する。また、筆画が痩せたり、乾いておらず、太っていて柔らかさを内包しているので、見る人にとっては慈愛に満ちて温厚な人柄を垣間見ることができる。援筆を駆使し、文字が小さく、大衆と妥協できる現実感と社会感覚を表わしている。正方形の形、まっすぐな線、柔軟性、規則性から根深い学者の風貌が感じられ、保守的でまっすぐな人であることが分かる。しかし、行の間隔が、時には狭く、他の文字を侵犯することもある。これから見て、容易でなく、言うべきことや手がけるべきことはきちんとこなす決断力を持っていたことを知ることができる。



申武炅 fighter@donga.com