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劉備の死

Posted January. 08, 2019 08:17,   

Updated January. 08, 2019 08:17

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1569年(宣祖2年)宣祖実録によると、宣祖も三国志演義を読んだようだ。三国志はこのように朝鮮でも広く人気を得た。現在まで発見された朝鮮の版本が約200種にもなる。

小説三国志は、陣法についても言及し、奇抜な計略もあるが、戦術的な説明ではない。映画のように特定の場面を捉えて胸を弾ませる。では、正史三国志には実際の戦闘様相や戦術が分かる内容があるだろうか。残念なことにない。三国志マニアになれば、有名人物と戦闘に関する歴史的な真実に好奇心が引かれるだろうが、残念なことに正史三国志はこの渇望を特に癒すことはできない。

気になる戦闘の一つが劉備の死を招いた夷陵戦闘の真相だ。劉備は関羽の死に対する報復と荊州奪還を目指して大軍を動員し、呉を侵攻した。蜀漢としては三国の均衡を破り、三国争覇戦で逆転を期待する乾坤一擲の勝負だった。

この時、呉で予想しなかった天才、陸遜が登場し、劉備軍を壊滅させる。劉備軍の敗因は、陸軍と水軍の協力不足。このために補給が難しくなったことと、陸軍の多く複雑な軍営布陣方式だったという。魏の皇帝、曹丕は、劉備軍の布陣を聞き、「劉備は兵法を知らない。必ず敗れるだろう」と予言した。

これ以上の情報がなく、もどかしいことこの上ないが、劉備が軍事を全く知らない人物ではなかった。蜀軍の複雑な構成と内部事情が原因ではないかと思う。水軍を率いた黄権は劉璋に仕えたので、牽制したために陸軍に負荷がかかった。ともかく劉備にはそれ以外に術がない理由があったのだ。しかし、すべての軍隊が敗北する原因には、それなりの理由がある。それは私の事情であって、敵の事情ではない。敵はその弱点を利用するのであり、理解するのではない。

安保、外交、経営は常に敵の立場で検討し、戦略に反映しなければならず、自分の事情だけを掲げて合理化してはいけない。自分の事情の一つが政治論理だ。偉大な将軍が戦術でなく政治論理のために敗北した。しかし、この失敗も歴史の中で無限に繰り返される。

歴史学者


シン・ムギョン記者 yes@donga.com