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一杯のご飯

Posted January. 02, 2019 08:56,   

Updated January. 02, 2019 08:56

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私たちを慰めるものは、大したものではなく、些細なモノである時が多い。だから、誰かが与える一杯のご飯が、場合によっては、空腹だけでなく、孤独までを癒し、歳月が流れた後は、人生を支える大切な思い出にもなる。金芝河(キム・ジハ)詩人の「客」は、その貴重な記憶に関する詩である。

一人がいる。彼はすごく寂しい。長い道のりを歩いてきたせいか、腹まで減っている。腹が減っているので、なおさら寂しいのかもしれない。その時、電柱の上に座っていたカササギが泣く。カササギが泣くと、嬉しい人に会うと言われたのか、本当に誰かが前に現れる。「電柱の上のカササギ泣き/ふと前に来て立っていた/背の高いあなた」。その人に会い、彼の目を見つめるだけでも、胸がときめき、いっぱいになる。すると、訳も分からず自分がいきいきしていて誇らしい気さえする。その人が差し出した温かいご飯を食べると、寂しさと空腹が消える。「覚えている/あの時/私はひどく/寂しくてお腹が減っていた/一杯のご飯/あなた」。これほど温かいご飯、暖かい記憶がまたあるだろうか。

詩人は、一杯のご飯によって寂しさと空腹を解消する話し手の姿を見せながら、そのようなおもてなしとそれに対する記憶がどれほど大きな慰めと人生の支えになるかを、感動的に示している。話し手が感じる孤独と空腹を比喩的な意味で見ると、他人との関係でのみ満たすことのできる内面の渇きである。私たちはいつもそう寂しくて空腹を感じる存在であり、だから誰かのおもてなしを必要とする客かも知れない。

私たちが受けた愛は、他人を愛する力の源であるように、誰かのおもてなしを受けた人は、自分でも時が来たら誰かを客として迎え、おもてなしをすることになる。そして、その客は再び誰かに温かい一杯のご飯を提供する「あなた」になって、誰かの空腹と孤独、内面の渇きを解消する。そうなれば、それはもはや些細なご飯ではなく、人生の索漠と非情を取り除く高貴な聖餐になる。一杯のご飯、あなた。

文学評論家・全北大学教授


李沅柱 takeoff@donga.com