Go to contents

平和に対する錯覚

Posted November. 06, 2018 07:24,   

Updated November. 06, 2018 07:24

한국어

西暦10世紀に強力な国家を築いた契丹は、女真を征服し始めた。契丹と高麗の間で暮らす女真族は、契丹の攻勢で散り散りになった。一部は契丹軍から逃れて高麗の国境を越えた。女真の部族の中には高麗が自分たちを支援することを願う者もいた。高麗も女真族の内心を分かっていただろう。しかし高麗は冷淡だった。高麗の外交方針は不干渉主義だった。契丹が攻撃して来ない以上、女真と契丹の戦いに巻き込まれる理由はないと考えた。

私たちがなぜ無駄な血を流さなければならないのか。非常に賢明で実利的な態度のように見える。しかし、国際社会も別の見方をすれば一つの共同体だ。自分だけの利害、いや自分だけの平和を追求することは皆に嫌われ、皆を敵に回す愚かな行動だ。高麗はより大きな危機に直面する。993年、契丹の蕭遜寧が突然高麗を侵攻した。驚いた高麗は、全国に徴集令を出し、先発隊を派遣したが、契丹軍に敗れてしまう。蕭遜寧は何と80万の大軍を率いてやって来たと大声を張り上げた。今日の学界では、蕭遜寧の兵力は5万未満だったというのが定説だ。高麗には立派な将帥と兵士も多く、軍事的な潜在力は豊かだった。しかし、平和主義で軍隊を遊ばせていたため、高麗政府は自分たちの潜在力を全く分かっていなかった。

恐怖に青ざめた朝廷は、黄海道(ファンヘド)の慈悲嶺より北の土地を手放して降参することを決めた。その時、契丹軍が安戎鎮という小さな要塞を攻撃したが、渤海流民の大道秀が戦って勝利した。それを見た高麗ははじめて契丹軍の実体を知り、有名な徐熙の外交を通じて契丹軍を引き返らせた。朝鮮の実学者、安鼎福は、「東史綱目」でこのような史評を残した。「ひとまず戦って和親を要求してこそ和親が成立する。もし敵を恐れて和親だけを主張するなら、敵は籠絡し蔑視するだろう」。昨今の状況を見るとこんな考えが頭をよぎる。蕭遜寧の侵攻は教科書にも載っているが、私たちは果たしてその教訓を手本としているのだろうか。

歴史学者