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李完用は果たして名筆か?

Posted November. 02, 2018 08:30,   

Updated November. 02, 2018 08:30

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李完用(イ・ワンヨン)をめぐって、当代の名筆だったが親日行為のために正しく評価を受けられなかったという主張がある。李完用は中国の米芾、董其昌のような名人の書法を深く研究するほど書画に心酔したという。独立門の扁額や直指寺大雄殿の文字も彼が書いたという主張があり、2005年に韓国国際交流財団がホームページに李完用を「当代の偉大な書道家」と称賛し、問題になったこともある。書道と人格が一致するかは過去も論争があった。清の銭大昕は、芸術と人格は異なる2つのものと主張し、明の馮班は芸術と人格は不可分の関係にあると言った。その間の立場を取った宋の蘇軾は、芸術は明らかに人格と関連があるが、技巧で隠蔽できるので必ず一致するわけではないと言った。

名筆かどうかを判断するには、評価基準から立てなければならない。蘇軾は、文字には神(精神)、気(気性)、骨(骨格)、肉(筋肉)、血(血色)の5つが必ずなければならず、どれ一つ欠けても良い文字とは言えないと言った。この基準で見ると、李完用は精神や気性、骨格が弱い。手先が器用で画の運用や文字の構成で技巧的だが、節制美がなく、品格がなかった。筆画が美しくなく、無駄が多く、過度に見栄えをよくしようとした。人格を離れて文字だけでも李完用を名筆と言うことはできない。

李完用の筆体の特性は、簡札で際立つ。書道の作品では技巧的で、見せかけようとしたが、簡札は違う。彼は字を下に伸ばして書いたが、独創的で即興的であり感情的な性格だったのだろう。行の間隔は狭く、隣の行の文字にほとんどついているのを見ると、他人への配慮が足りない。スピード感があるのは、判断がはやいことをうかがわせる。字の大きさ、行の間隔が一定でないことから、予測できない人物であることが分かる。

弁護士・筆跡研究家