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突撃する所がない

Posted October. 30, 2018 07:52,   

Updated October. 30, 2018 07:52

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古代から改革は抵抗を呼んだ。紀元前6世紀のアテネの政治家ソロンは、極限に達した富者と貧者の対立を解消するために改革政治を施行した。彼の改革は、中道的で合理的な改革案の標本として歴史で名声を得たが、富者と貧者いずれも反応はよくなかった。官僚や軍、企業のように組織を対象とする改革はさらに難しい。抵抗も組織的だ。組織的な抵抗よりもっと怖いのは組織的な無力感だ。規定と慣行という保護膜の中で生きてきた人々は、変化に適応する能力が劣る。組織が持つ権限に依存する人々は、他者が自分に合わせるよう強要することに慣れている。この場合、改革に反対する人々は、改革が構成員の士気を低下させたと言う。長い年月の「士気の低下」は、大っぴらに改革に反発するように見えないものの、改革を巧妙に無力化し、あいまいにするかなり有用な武器だった。

いったい士気とは何か。戦争で士気は重要な問題だった。理性的で精巧な思考を重視した中国の春秋戦国時代の戦略家、孫氏も、実戦で兵士が滝の水が溢れるように突撃することが重要だと話した。士気の重要性を指摘したのだ。しかし、孫氏も士気が何なのか、士気増進のためにどうしなければならないかは話さなかった。「滝の水が溢れるように」と士気の結果だけを話した。

第2次世界大戦で活躍したジョージ・パットン将軍は、自分の目の前で敵の銃弾が打ち込まれているにもかかわらず、突撃命令が下った時に兵士たちが塹壕から出て行くようにすることが士気だと話した。士気の実体ではなく性能について語ったのだ。この定義だけで解答は十分かも知れない。孫氏とパットンの定義によると、改革が志気を落としたのではなく、初めから組織に士気が不足しているため無力感に支配されるのだ。近頃の韓国社会も全般的にこのような無力感に浸っているようで心配だ。初めから韓国の国民に士気が不足しているのだろうか。国民の士気が行く先を失ったのだろうか。

歴史学者