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おばあさんの花の種をもらおう

Posted September. 08, 2018 07:46,   

Updated September. 08, 2018 07:46

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仕事をしすぎてとても疲れたら、癒しを望む心すら持つことができない。何かを望む力もないためだ。多くの仕事をしたのにまだ仕事がたまっていれば、手足もうまく動かない。思った以上にうまくできない自分をなじるだけだ。オフィスのコンピュータの前に座っている日常は穏やかに見える。しかし表面にあらわれないだけで、その内面にも絶望はいつもやってくる。

その時、突然やってくる癒しには感謝する。木の下を通り過ぎて、突然花びらが落ちてくるように、心に舞い降りる癒しは有難い。その中で、私が聞いた最も有難い癒しは、私たちが生命体ということを忘れるなという言葉だった。私たちは地球に生れ落ちて有限な時間を生きていく生命体。時間と力と能力に限界があるのは当然だ。

だから限界にもかかわらずあくせく生きようとする生命体がかわいそうで、けなげで、立派で、切なく思わざるを得ない。パク・ナムスの詩には、戦争で荒れた土地で、小さな生命を守るおばあさんが登場する。戦争は生命より重要な何かがあると主張した事件であり、おばあさんはその反対に位置する。私たちの日常はどちらの側だろうか。戦争のような日常ではなく、花の種のような日常になることを願う。

文学評論家


李沅柱 takeoff@donga.com