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偉大な報恩

Posted September. 06, 2018 08:58,   

Updated September. 06, 2018 08:58

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人は一人で生きていくことはできない。生きていれば、善意の助けを受ける時もあり、与える時もある。ドイツの新古典主義を代表する画家、ヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバインは、宮廷画家として成功した人物だが、苦しかった時期、見ず知らずの人に大きな助けを受けたことがある。まさにこの絵の中の主人公、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテだ。彼はなぜドイツの大文豪の肖像画を異国の荒野を背景に描いたのか。

ティシュバインは、代々画家を輩出したドイツの名家の生まれだ。ベルリンで肖像画の画家として活動した1779年、奨学金を受けてローマに留学した。古典主義の美術を学ぶためだった。2年後、資金が尽きてチューリッヒに定着し、1783年に再びローマに戻った。ゲーテの推薦で奨学金を受けられたおかげだった。スイスで交流のあった詩人が取りもったことによる推薦だった。実際に2人は顔も合わせたことがない。ティシュバインにとってゲーテが実に有難い恩人だった。1786年9月、ゲーテもローマに向かった。古代の跡が溢れるローマで会った2人は共に旅行するほど親しく過ごした。2人とも古典を愛し、関心事を共有した。旅行中に描かれたこの絵の中で、ゲーテは古代と現代をつなぐ超自然的な人物として描かれている。当時流行したつばの広い帽子とクリーム色の旅行コートを着たゲーテは遠くを見つめ、石のベンチに寄りかかって休んでいる。絵の中の風景は、ローマ近郊の廃虚になった遺跡、カンパーニャだ。ゲーテの右足は現実の地を踏んでいるが、コートで遮られた異様なほど長い左足は古典の世界、すなわち理想郷の世界に向かって伸びている。

この肖像画は、「偉大なゲーテ」の知的で理想的なイメージを形成するのに決定的な役割を果たした。後にドイツの高い知識と文化、暮らしのレベルを象徴する「国民の絵」になった。当時のゲーテも自分がそれほど偉大な人物とは思わなかっただろう。金にはかえがたい画家の友の「偉大な報恩」だった。

美術評論家