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外交の失敗

Posted September. 04, 2018 08:58,   

Updated September. 04, 2018 08:58

한국어

1970、80年代、北朝鮮を背景にしたドラマで必ず登場する単語が「阿吾地炭鉱」だ。1410年、慶源兵馬使の郭承祐(クァク・スンウ)が慶源府に侵入した女真族との戦闘の際、阿吾地で待ち伏せに遭って負傷した。朝鮮軍は包囲されたが、奮戦の末、包囲を突破して脱出した。しかし、この敗戦で慶源の住民は恐怖に怯えた。朝鮮は、慶源府の軍士と住民を阿吾地に移動させ、ここを死守しようとしたが、最終的に慶源をあきらめて国境を後に後退した。20年後、世宗(セジョン)が4郡6鎮を開拓し、この地域を取り戻した。

この屈辱的な事件の原因は外交の失敗だった。会寧(フェリョン)で暮らした孟特穆は、太祖に仕えた親韓派の女真族だった。太宗の時、明が満州の女真族に官職を与えるなど積極的な懐柔策を始め、朝鮮に明と孟特穆の間をとりもつよう要請した。朝鮮は、明の要求を聞き入れるふりをして、孟特穆には明の官職を受けないようそそのかした。孟特穆は朝鮮の顔を立てるふりをして、明の提案をすぐに受け入れ、北京に行って永楽帝に謁見した。常識的に孟特穆が明の提案を拒否するはずがないが、朝鮮は特別な優遇策も提示せず、虚を突かれた。そして怒った。1410年、好戦的な女真族が慶源を襲撃し、兵馬使を殺害する大事件が起こった。朝鮮は討伐し、孟特穆を疑って彼の一族を殺害した。朝鮮は、孟特穆が先に裏切ったというが、真相は確かでない。孟特穆は朝鮮に背を向け、先頭に立って慶源を攻撃し、阿吾地戦闘を起こして朝鮮を追い出した。

外交は、一に現実、二に現実で、常に相手の立場で判断しなければならない。国際情勢は冷酷で徹底して自国の利害関係で動く。歴史的に韓国は外交に弱いが、理由はいつも似ている。相手を簡単に無視し、(その勇気だけは驚くべきだが)自分の立場だけで判断する。大義名分に執着し、このような行動は自主的、このような行動は屈従的だと事前に公表して動く。そのため、相手に勝つことも利用することもできない。最近も全く変わっていないようだ。

歴史学者