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ソウル大総長というポスト

Posted July. 07, 2018 08:09,   

Updated July. 07, 2018 08:09

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高麗と朝鮮時代に最高の公立教育機関だった成均館(ソンギュングァン)の長を大司成と呼んだ。高麗末期の鄭夢周(チョン・モンジュ)から朝鮮前期の申叔舟(シン・スクチュ)、中期の李滉(イ・ファン)、後期の金正喜(キム・ジョンヒ)まで当代最高の知性人が大司成を務めた。今日のソウル大学の総長は現代版大司成とも言える。

◆ソウル大総長には、1960年代まで刑法学者の劉基天(ユ・ギチョン)教授のような知性と勇気のいずれでも尊敬を受ける人がいたが、維新と第5共和国時代と経て、その地位が落ち始めた。民主化後も総長の地位は簡単には回復しなかった。91年から総長直選制が導入され、学識と経綸よりも「顔が広い」教授が総長になる事態が起こった。総長の経歴で首相になり、さらに高いポストを狙うケースも出てきた。

◆大学総長には「知性の代表者」という役割のほかにも最高経営者(CEO)という役割がある。英国は大学総長のポストを二元化し、チャンセラー(Chancellor)を置いてその下にバイスチャンセラー(Vice chancellor)あるいはプレジデント(President)を置く。チャンセラーは、大学に常駐せず知性を象徴する名誉総長で、プレジデントが実質の総長だ。米国は、大学総長のポストを概ね一元化してプレジデントと呼び、CEOの役割を次第に重視してきた。東洋は少し違って、東京大学は総長を大学の管理責任者と見ず、学問の殿堂の象徴と見る。

◆ソウル大法人化後、間接選挙制で初めての選出された成楽寅(ソン・ナクイン)総長とその後任として総長候補に推薦された姜大熙(カン・デヒ)医学部教授は、「顔が広さ」は自他が認める。しかし知り合いが多いというだけでは、CEO役が上手という保証はない。むしろ「顔の広さ」でポストに就いたので、尊敬を受けるポストから遠ざかるのではないだろうか。セクハラ疑惑を受けた姜氏は、総長候補を辞退した。詩人の鄭喜成(チョン・ヒソン)氏は、「誰かが祖国の未来を尋ねたら、冠岳(クァンアク)を見よ」と言った。ソウル大総長は、祖国の未来が実に気になる時に必要な助言ができる時代の知性人であってほしい。


ソン・ピョンイン論説委員 pisong@donga.com