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日本の軍艦島、見え透いた手

Posted June. 26, 2018 08:46,   

Updated June. 26, 2018 08:46

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長崎県に行けば長崎平和資料館がある。韓国人原爆被害者の実態を調査して在日韓国人の人権のために献身した岡正治牧師を称えるために、1995年に市民が建てた博物館だ。岡氏は1974年、長崎の端島(別名・軍艦島)の炭鉱であちこちに転がっていた死者の遺骨と名簿を発見した。名簿には韓国人の名前が並んでいた。その時、彼の人生が変わった。

◆1988年、小説家の韓水山(ハン・スサン)氏は、東京のある書店で『原爆と朝鮮人』という本に出会った。岡氏が書いた本だった。端島炭鉱、韓国人強制徴用、長崎被爆・・・。韓氏には衝撃だった。韓氏は1990年から取材を始めた。軍艦島と長崎を数十回訪れ、多くの被害者に会った。日本全域を訪れ、原爆実験をした米ネバタ州まで行った。小説『軍艦島』は2016年にこうして生まれた。韓氏は「小説を書く間、ただただ恥ずかしかった」と告白した。

◆軍艦島など日本の近代産業施設は2015年にユネスコ世界遺産に登録された。当時、侵略の遺産という批判が出ると、日本は韓国人などの強制労働を認めた。また、このような事実を明記して犠牲者を称える情報センターを設立することを約束した。しかし日本は守らなかった。炭鉱に案内板を新たに設置したが、「強制動員」という表現は抜け落ちた。昨年11月にユネスコに提出した後続措置経過報告書を見ると、「強制」の代わりに「支援」という表現を入れ、情報センターは長崎ではなく遠く離れた東京に、それもシンクタンクの形態で設置するという。

◆7月4日までバーレーンでユネスコ世界遺産委員会が開かれる。ユネスコは日本の経過報告書を評価する決定文を採択する。外交部関係者は25日、「強制労働の事実が決定文に脚注の形で明記されるだけだ。日本に後続措置の履行を求める」と明らかにした。外交部の説明は苦しい。3年が過ぎても案内板ひとつまともに立てない日本だ。2019年末まで追加報告書を出すというが、日本の見え透いたやり方が変わるとは思えない。


李光杓 kplee@donga.com