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ベートーベンのソナタをもっと聞いていたなら

ベートーベンのソナタをもっと聞いていたなら

Posted May. 30, 2018 08:21,   

Updated May. 30, 2018 08:21

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音楽が人を変える時がある。「すべての芸術は、常に音楽の状態に憧れる」という言葉まであるから、音楽にそのような力があるのは当然かもしれない。ドイツ監督フローリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクの「善き人のためのソナタ」は、音楽がどのように人を変えることができるかを示す感動的な映画である。

統一される前の東ドイツが背景である。主人公のヴィースラー 大尉はシュタージ、すなわち国家安保局所属の尋問と盗聴の専門家である。ブラックリストの人々を盗聴し、必要なら尋問し、拷問も辞さない血も涙もない「人間機械」である。

彼が今回監視する人物はドライマンという有名劇作家である。彼は息も聞こえるほど完璧に、作家の家のあちこちに盗聴装置を設置して、すべてのことを監視する。そんなある日、ドライマンは政権から睨まれて長い間演出が禁じられていた有名演出家が自殺したという電話を受け、悲しみに浸る。そして、その演出家を思いながら、彼から贈り物としてもらったソナタの楽譜をピアノで演奏し始める。映画が再現できない想像の中の音楽が流れる。盗聴装置のヘッドフォンを通じてその音楽を聴くヴィースラーの顔に、かつては見られなかった表情が浮かぶ。彼が「人間機械」から「人間」に変わる瞬間である。

ドライマンが東ドイツの抑圧的現実に関する文を西ドイツの新聞に載せても無事なのは、その変化のおかげである。ヴィースラーは彼を保護するために虚偽の報告書を作成し、犯罪の決定的証拠であるタイプライターまで無くす。「人間的なものを理念的なものの上に、感情を原則の上に、愛を厳格さの上に置く」音楽の力のために可能なことである。

ここで一つ質問。レーニンがあれほど好きだったベートーベンの「熱情」ソナタをより頻繁に聞いたなら、ヴィースラー大尉のように人間的に変わったのだろうか?言い換えれば、レーニンが「革命課題のために『熱情』ソナタを聞くべきだと信じることができたなら」、歴史はどうなったのだろうか?この映画が提起するややナイーブでも古典的な質問である。