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四大洋の水より多い涙

Posted May. 23, 2018 08:31,   

Updated May. 23, 2018 08:31

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人たちは彼女が気が狂ったと思って、汚物や土塊を投げた。仏の弟子たちもそう思っているのは同じだった。「あの狂った女が、師匠に近づけないように食い止めろ!」。しかし仏は違った。「私の前に来るのを食い止めるな」。女は仏の足元にひれ伏して悲しく泣いた。仏は痛ましい眼差しで彼女の話を聞いた。

裕福な商人の娘であるパタカラは、親の意に反して召使と恋に落ちて駆け落ちした。ところが、妊娠をして臨月になると、両親が恋しくなった。しかし、両親の家に行く途中、息子が生まれて、それができなくなった。第2子を妊娠した時も同じだった。行く途中に土砂降りが降り始めた。さらに悪いことに、陣痛が始まり、夫は雨をよける小屋を作る木の枝を切りに行って、ヘビに噛まれて死んだ。そのような状況で次男が生まれた。

朝になると、彼女は子供たちを連れて旅発った。川が現れた。昨夜降った雨で、川の水が増えて腰まで浸かった。彼女は子供を一人ずつ渡すことにした。ところが赤ん坊を渡しておいて戻ってくると、鷹がその赤ん坊をかっさらっていくのではないか。彼女は大声を叫んだ。すると、長男が母が自分を呼ぶと思って川に飛び込んだ。二人の子供はそうやって死んだ。それどころか両親と弟さえも火災で死亡したという。彼女が正気を失った理由である。

仏は、その話を聞いて語った。「これ以上悩むな。君は、君を慰め、安らぐ場所になってくれる人のところに来た。君が災いと惨事にあったのは、今日だけのことではない。君は数えきれないほど繰り返される年月の間、大切な息子たちと人々を失い、四大洋の水よりも多い涙を流した」。慰めの言葉で輪廻と 業報の概念を説明したのである。パタカラの傷を慰めたのは、彼女の苦しみを普遍的な実存の問題へと拡張させた仏の慈悲だった。「四大洋の水は、私たちが流した涙に比べれば些細なものである」。仏の慈悲深い目は、女性の涙から人類の涙を見た。

文学評論家・全北(チョンブク)大学教授


李沅柱 takeoff@donga.com