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几帳面だが軟弱だった高宗

Posted April. 13, 2018 08:36,   

Updated April. 13, 2018 08:36

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黄玹(ファン・ヒョン)は「梅泉野録」で、国を台無しにした責任は高宗と明成皇后にあると、辛辣に批判する。米公使アレンが「韓国国民がかわいそうです。私はかつて九万里を歩き回り、上下に4000年の歴史を見てきたが、韓国皇帝のような人間は初めて見る人種でした」と語ったと記している。国を奪われた王「高宗」、彼は果たしてどんな人物だったのだろうか?

高宗の字はたくさん残っているが、一言でいえば、下手で力が弱い。図版字は高宗が63歳だった1915年に書いたものである。44年間一国の国政を取り仕切ってきた人が書いた字とは信じられないほど未熟である。世宗や正祖(チョンジョ)の文字までは期待しなくても、王の字としては資格未達であり、乱世の王としてなおさらそうだ。高宗は、素早い判断と行動によどみのない伊藤博文の対戦相手にはなれなかった。李完用(イ・ワンヨン)、趙重応(チョ・ジュンウン)のような日和見主義的臣下たちの厄介に悩まされただろう。

母音の最後の部分で払いがあり、「口」の字の最後も強く閉じていて縦線が長いことから、一般的な業務処理はきめ細かくこなしただろう。しかし、乱世ほど意志が強くて、非凡な能力を持つリーダーが必要である。ところが、高宗の字は、正方形の形態であるうえ、硬直されていて柔軟でない。このような人物は純粋で正しいが、生真面目で困難な状況を突破するのが難しい。特に「口」の字の上部の硬直した形は、心を開いて世界を見なかったことを示している。上の余白、文字の形、筆圧から見て勇気が足りず、積極的でない上、軟弱である。

高宗は、少なくともアレンの評価ほど情けない人物ではなかった。当時、帝国主義の渦の中で生き残った国はほとんどなかったので、すべてを高宗のせいにするのも難しい。しかし、「あの時、あの場によりによって高宗がいたなんて」という嘆きは避けがたい。