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[オピニオン]「ノートルダム・ド・パリ」

[オピニオン]「ノートルダム・ド・パリ」

Posted September. 01, 2017 07:49,   

Updated September. 01, 2017 07:56

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セーヌ川が横切るパリの真ん中に位置する船の形の小さな島「シテ(Cité)」。このシテ島の真ん中には年間1400万人が訪れる大聖堂がある。ノートルダムある。「私たちの(Notree)」と「貴婦人(Dame)」という二つの言葉があわされて、「聖母マリア」を意味する。華やかなステンドグラスで飾られた直径9.6メートルの「バラの窓」、2つの高さ69メートルの鐘楼などは、中世ゴシック建築の真髄と評価される。

◆1163年から192年間建てられたノートルダムは、長い歴史の舞台だった。魔女に仕立てられて火あぶりにされたジャンヌ・ダルクの名誉回復裁判(1455年)が行われたところも、プロテスタントと旧教徒だったアンリ4世とマルグリット王女の政略結婚式(1572年)が行われたところもノートルダムだった。しかし、宗教より理性が重視された大革命(1789年)時は受難を経験しなければならなかった。3つの聖堂の出入り口の上に、一列に立ち並んだ28個の聖書の中のユダヤ王の立像と鐘は、全て引き下ろされ、粉々になった。

◆ノートルダムを長い眠りから目覚めさせたのは、1831年に出版されたヴィクトル・ユーゴーの「ノートルダム・ド・パリ」(別名「ノートルダムのせむし男」)だった。異邦人であるジプシー女「エスメラルダ」と猫背の鐘つき「カジモド」の悲しい愛が繰り広げられるノートルダムは、「すべての人が平等に生きる世界」を代弁するところだった。小説の大興行のおかげで、ノートルダムは1844〜1870年に全面的復元作業が行われた。建築家「ヴィオレ・ル・デュク」は、元の姿に回復することにとどまらず、創作物も付け加えた。コウモリの翼と龍の頭をした怪物「ガーゴイル(gargoyle)」像をそれぞれ別のポーズにして、外壁のあちこちのにょきにょきと突き出た雨受けの上にのせたのは、ユーゴーの小説に登場する陰惨なノートルダムと主人公「カジモド」の奇妙な姿を浮き彫りにするためだった。

◆パリ大司教がノートルダムの全面的改修のために、1億ユーロ(1345億ウォン)の募金運動を開始した。ノートルダム側は、「ガーゴイルとゴシック様式のアーチ型構造物などが崩れているので、補修が急がれる」と説明した。ユーゴーが「石の巨大な交響曲」と表現したノートルダム、147年ぶりの改装の結果が気になる。

趙修眞(チョ・スジン)論説委員 jin0619@donグラムa.com



趙修眞 jin0619@donga.com