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セウォル号3周忌を前にして

Posted April. 15, 2017 08:34,   

Updated April. 15, 2017 08:35

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大人であることが恥ずかしくなる4月だ。3年前の4月16日午前10時17分。沈没したセウォル号が現世と交信できる最後の時間だった。ある生徒が親に送った最後のカカオトークには、このようなメッセージが残っている。「待てろって。待てというアナウンスの後、アナウンスがない」。大人たちを信じて従い、死んだ子供たちのことを考えると、この地の大人というだけで恥ずかしく悔恨の念が込み上げる。

明日でセウォル号が沈没して3年になる。セウォル号は幸い、先日引き揚げられ、全羅南道木浦(チョンラナムド・モクポ)の新港に横たわっている。長い歳月の間、待ち望んだ家族にとって、行方不明者9人の遺体を探すことが残された最優先課題だ。事故当日、生きていてほしいという望みは、1日経って遺体であっても見つかってほしいという望みに変わり、捜索が中止された後は、遺骨であっても見つかってほしいという望みに変わった。虚しいその望みが叶うだけで慰めになる人々のために、最後の最善を尽くさなければならない。

セウォル号3周忌、もはや悲しみから立ち上がる時だ。セウォル号が引き揚げられた以上、テントがなければならないなら、その場所はソウル光化門(クァンファムン)広場ではなく木浦新港だ。そこに収拾される遺体とともに船体の「真実」も引き揚げられる。セウォル号沈没をめぐって、無理な建て増し、貨物の過剰積載、平衡水の削減、操舵の過失など納得できる原因が提示されたが、それを信じない人が少なくなかった。精密な船体調査が行われるだろうが、肉眼だけでも潜水艦衝突説、暗礁衝突説は怪談であることが明らかになった。嘘で分裂と葛藤を助長した人々が船体調査で再びけちをつけるか分からないが、これ以上セウォル号を政争の具にすることは止めなければならない。

 

朴槿恵(パク・クンへ)前大統領はセウォル号事故直後、官フィア(官僚+マフィア)を指摘して「積弊清算」を訴えた。しかし、12人の理事長のうち10人が高官出身だった韓国海運組合でも、セウォル号不良検査疑惑を受けた韓国船級でも、誰も処罰を受けなかった。積弊はそう簡単には断罪されない。だから積弊なのだ。それを分からず、朴前大統領はかえって積弊の輪から抜け出せず、崔順実(チェ・スンシル)国政介入事件で弾劾され、自分が清算の対象になってしまった。

 

明日午後3時、安山(アンサン)合同焚香所で3周忌記念式が予定されている。大統領選候補たちが皆参加すると見える。韓国社会は3年間でどれだけ安全になったのか。国民安全処を新設したからといって、退職公職者の就職を制限するために公職者倫理法を改正したからといって、贈収賄罪で処罰できない不正請託を阻止するために金英蘭(キム・ヨンラン)法を制定したからといって、韓国社会がさらに安全になったと断言できない。自分に反対する勢力が積弊ではなく、韓国社会の隅々に居座った慣行という名の旧習と腐敗がまさに積弊であり、これを一掃することが真の積弊清算だ。

誰の死も残念で、若くした命を失ったことに心が痛む。3年前、多くの親が自分の子供をしっかりと抱きしめ、生きているというだけで感謝した。そのような思いで、子供たちが生きていく新しい国を作らなければならない。3年前のあの日の悔恨がまだ残っている間に、その悔恨を大韓民国を改造する動力としなければならない。