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統合と団結の3・1精神、韓国の未来100年を照らす灯だ

統合と団結の3・1精神、韓国の未来100年を照らす灯だ

Posted February. 28, 2019 08:08,   

Updated February. 28, 2019 08:08

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100年前の3月1日、この地に鳴り響いた大韓独立万歳の叫び声を想像してみる。日帝の弾圧を突き抜けて三千里津々浦々を覆ったその叫びは、今、私たちが享受する自由民主主義大韓民国の母胎であり種子だった。死を顧みず、その叫びには男女、老若、有識・無知、貧富を分けなかった。民族が一つになって立ち上がった正義の抵抗だった。

それから100年、国のために献身した烈士の期待に背くことのない国を作っているのか振り返ると、恥ずべき思いを禁じ得ない。民族は70年以上分断し、内部でも地域、階層、理念間の葛藤の溝がますます深まっている。そのため、より切実に感じられるのが統合の3・1精神だ。

国史編纂委員会資料によると、3・1運動には80万~103万人が1690件のデモに参加した。当時、全国220の郡の中で95.9%の211の郡でデモが起こり、米国、中国、日本などの同胞も参加した。初期には、民族指導者や青年、学生層が先導したが、まもなく一般大衆の独自の力による自発的な万歳運動に発展した。職業と階級を超越し、10代から60代以上に至るまで、老若を問わず参加した。宗教の壁を崩し、キリスト教、仏教、天道教が共に行動した。

伝統社会で男性の陰で「隠れた存在」として生きなければならなかった女性たちが前面に出たのも、3・1運動の意味を際立たせる。差別の壁を越えたこのような参加は、その後、臨時政府の憲章に「老若男女すべての国民が平等」という原則を明文化する結果を生んだ。

韓国民族は、そのような団結した力で銃刀を持つ不正に対抗した。日帝の文書に公式に記録された死者は725~934人。記録から脱落した多くの死傷者と1920年代に起こったデモまで考えると、犠牲者は何倍にも増えるだろう。世界の非暴力抵抗運動史で類例が見られないほど多くの犠牲者が出たのは、日帝の弾圧がどれほど残酷だったかを物語る。にもかかわらず、私たちの先祖は、非暴力平和運動を指向し、それが運動の真正性と国際的支持を確保する力になり、中国の5・4運動、インドのガンジーの非暴力抵抗など世界史の流れを変える先導的な役割をした。

このように100年前の「独立万歳」は民族の一つになった声だったので、世界を泣かせた。しかし、光復後に初めて迎えた1946年の3.1節から左翼と右翼に分かれ、記念式まで別に行われ、市街行進の最中に暴力的な衝突まで起こった。北朝鮮は3・1運動の歴史的意味を縮小し、北朝鮮地域中心の失敗した民衆運動と歪曲している。韓国社会でも、3・1運動を政派的・理念的な枠に合わせて自分たちの政治的道具として利用しようとする試みが頻繁だ。政界は四分五裂し、対立し、社会葛藤はますます深刻になっている。

国民の暮らしを見ても、経済規模は世界11位になり、国民所得3万ドルを超えたが、所得不平等などはますます悪化し、労使葛藤は深刻化している。老若男女、身分上下に関係なく皆が共によい暮らしをする社会を望んだ3・1精神を顧みれば恥ずかしい現実だ。

100年前の3・1運動が共存共栄の正義、平和など人類の普遍的価値と民主主義の政体を指向したという点は自由民主主義と共和政の危機が議論される今、同じ時に一層大きな響きがある。3・1運動で流した崇高な血が、同年4月の臨時政府の樹立および1948年の大韓民国建設の土台になったことを忘れてはならない。

3・1運動は、帝国主義列強の植民地争奪戦がもたらした第一次世界大戦終結の約3ヵ月後に起きた。国際社会に向かって、韓国の運命は自ら決めると憤然と訴えたのだ。今日、ハノイで2回目の米朝首脳会談が開かれる。その結果によって安保地勢は揺れ、韓国の運命が周辺国の手に左右されるかも知れないという不安も払拭できない現実だ。韓半島問題の当事者として先導者役をしなければならない。それは自強の安保を土台にした外交能力にかかっている。

このすべての努力の出発点は、3・1運動の真実を継承することだ。東亜(トンア)日報が昨年から3・1運動の歴史を発掘するシリーズを連載し、27日、国史編纂委員会と3・1運動の真の姿に総体的に光を当てる学術会議を共同主催したのも、そのような努力の一環だ。趙珖(チョ・グァン)国史編纂委員長は、「新たな韓民族の出発点となった3・1運動の歴史を記憶しておかなければならない」と強調した。そうだ。統合、正義、非暴力の3・1精神は、これまでの100年間、韓国民族が生きることができた血管であり、今後100年の韓国の未来を照らす灯だ。