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[社説]金鍾泌氏が他界…韓国政治、栄辱の時代を越えて新たな章へ

[社説]金鍾泌氏が他界…韓国政治、栄辱の時代を越えて新たな章へ

Posted June. 25, 2018 09:35,   

Updated June. 25, 2018 09:35

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「3金」の最後の生存者である金鍾泌(キム・ジョンピル)氏が亡くなった。金氏に対して、韓国の現代政治史の栄辱を共にした政治家という評価が出るほど、その功過にも交錯する評価が出るだろう。朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領と共に5・16クーデターに加担して政治人生を始めた彼は、生涯のライバル、金泳三(キム・ヨンサム)氏と金大中(キム・デジュン)氏と違って大統領にはなれなかったが、韓国政治史の「永遠のナンバー2」として一世を風靡した。

権力の生理を誰よりもよく知る金氏には、特別な政治的感覚があった。朴正熙政権創出のプランナーとして、金氏はより安定した政治を指向し、権力の牽制を受けた。民主化時代にも金泳三大統領の下では与党代表を、金大中大統領の下では首相を歴任し、権力核心の座に就いた。このような行動をめぐって、中国の五代十国時代に五王朝を仕えた馮道の世渡りとも言われるが、金氏の柔軟な政治は韓国政治史の独歩的な足跡として残るだろう。

金氏は過去に産業化を導いた「保守元祖」を掲げたが、民主化を導いた金泳三、金大中氏とも喜んで手を握った。しかし、いつも途中で決別し、金泳三、金大中氏の汚点から抜け出した。金泳三氏と決別した後、自民連を創党し、金大中氏との連合による共同政府を構成したことは、韓国政治の新たな試みとして浸透した「第3地帯政治」の先駆けだった。しかし、限界もあった。原則なく一進一退した金氏の身の振り方は、今日道に迷った保守の現実と大きく違わない。

金氏は時には教養ある言葉で、時には容易な日常言語で反対者も膝を叩く政治的レトリックの大家だった。金氏は「政治は虚業」と言った。「企業家は努力しただけ果実が生まれるが、政治は果実ができれば国民に差し上げる」という意味だ。「(政治は)負けて勝たなければならない」とも述べた。今日、与野党を問わず互いに対して暴言を躊躇しない殺伐とした政界が肝に銘じる「寸鉄殺人(短くて適切な言葉で相手の急所や弱点を指摘すること)」に違いない。

危機は、古いものは去ったがまだ新しいものが来ていない時に発生する。進歩陣営は、金大中、盧 武鉉(ノ・ムヒョン)氏に続き文在寅(ムン・ジェイン)時代を迎えて「進歩の時代」を謳歌し、左に傾いている。一方、保守陣営は3党合同で執権した金泳三氏後、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クンへ)時代につながったが、今は壊滅の危機を迎えた。左右の翼が均衡を失えば、国も均衡を失う。金泳三氏、金大中氏とともに過ぎ去った時代の政治家、金鍾泌氏も逝った。金氏が韓国政治に残した跡は様々な形で記憶されるだろう。