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監査院の二つの顔

Posted May. 24, 2017 09:08,   

Updated May. 24, 2017 09:08

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主として政府省庁に対する会計監査や公職者の職務観察を本業としていた監査院で、「政策監査」(policy audit)という概念を取り入れたのは田允喆(チョン・ユンチョル)監査院長だった。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権初期の2003年11月に就任した田氏は、「政府の主要政策と事業に対する診断評価システムを構築し、政策監査に力を入れたい」と第一声をげた。

◆田氏は金大中(キム・デジュン)政権で経済副首相を務めた経験を活かしてクレジットカード大乱に対する特別監査、金融監督体系の再編、放漫な国有財産の管理実態など、かつて監査院の目が行き届いて伊像田大型の経済政策関連に監査を行い、官界を緊張させた。後輩の公職者を懲戒することが頻発してから、「至る所に敵を作っている気がして苦しい」と打ち明けるほどだった。大統領府で任命状を受け取った長官たちは、近くにある三清洞(サムチョンドン)の監査院長の執務室まで訪ねて挨拶をすることもあった。

◆李会昌(イ・フェチャン)監査院長は1993年に軍の戦力増強事業である栗谷(ユルゴク)事業不正監査のとき聖域とされた大統領や軍、国家安全企画部(今の国家情報院)に対しても監査を行い、「竹を割ったようだ」と言われた。金大中政権の韓勝憲(ハン・スンホン)院長は、儒者のような実直さで、李明博(イ・ミョンバク)政権の金滉植(キム・ファンシク)院長は温かくて物腰柔らかいリーダーシップで尊敬された。李明博政権の後半に任命され、朴槿恵(パク・クンヘ)政権初期に辞任した梁建(ヤン・ゴン)院長は政権交代を前後して主要4河川事業の監査を2度も行い、それぞれ異なる結果を出した。終わる権力と始まる権力の両方の機嫌を取ら中ればならなかったからだ。

◆政策監査の趣旨は悪くないが、それは政権がどう使うかによって政治報復の道具にもなりかねない。大統領がパワーを持っている時は、「大統領選公約の履行実態監査」を行うことで省庁を駆り立て、政権が替わると過去の政権を欠陥を掘り起こすやり方だ。大統領直属組織であることによる限界とも無関係ではない。だから文在寅(ムン・ジェイン)大統領も、選挙公約で監査院の独立性を強化し、会計監査機能は国会に移管すると明言したのだろう。李明博政権の大統領記録物も封印されたところで、主要4河川に対する4回目の監査を行わなければならない監査院が気の毒だ。ところで、文大統領から監査の「指示」を受けた黄賛鉉(ファン・チャンヒョン)監査院長は年末までに任期を全うできるのだろうか。