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[オピニオン]韓国人監督たちのオリンピックメダル

[オピニオン]韓国人監督たちのオリンピックメダル

Posted August. 09, 2016 08:27,   

Updated August. 09, 2016 08:30

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1976年、モントリオールオリンピックでレスリングの梁正模(ヤン・ジョンモ)が初金メダルを獲得した時、国全体が興奮の波に包まれた。とある詩人は、「若いスポーツ選手に過ぎなかった梁正模が、太極旗(テグッキ=韓国国旗)をモントリオールの空高くなびかせた瞬間、韓国の息子、韓国人の友、全ての韓国人の最も近い血縁となった」と書いた。梁正模の金メダルは、経済が跳躍していた時期に、韓国人の誇りをスポーツの舞台でも知らせた祝砲だった。12年後、韓国はオリンピックの開催国となった。

◆貧しかった時代、韓国がよい成績を上げたのは、ハングリースポーツと呼ばれていた格闘技種目が多かった。モントリオールオリンピックで韓国が参加した6つの種目は、ボクシングやレスリング、柔道、射撃、男女バレーボールだった。技や装備以上に、闘志が競技力に重要な要素として働いた種目だ。現在、一人当たりの国民所得が韓国の13分の1ほどであるベトナムは、リオデジャネイロオリンピックに10種目、23人を送り出した。韓国は24種目で、204人が出場している。

◆男子10メートルエアピストルで、ベトナムに史上初の金メダルをプレゼントしたホアン・シャンビンは、大学に進学できる経済状況ではなかったので、軍に入隊した。AK小銃を撃っていたところ、隠れていた才能が明らかになり、国家代表に抜擢された「出遅れ」だった。練習場は、エアコンすら作動せず、サウナのように蒸し暑く、外国選手が一日に300発を撃って練習していた時、50発ほどの弾丸しか支給されなかった。残りの時間は、空砲で姿勢訓練をこなした。バク・チュンゴン監督は、劣悪な環境のため、ホアン・シャンビン選手を連れて韓国に訓練しに来た。

◆ホアン・シャンビンについで銀メダルを獲得したフェリペアルメイダ・ウーは中国系ブラジル人であり、銅メダリストは中国の龐偉だった。南シナ海で領土紛争を繰り広げている中国を、彼が抑えたとベトナム人たちが痛快に思っているという。ホアン・シャンビンは、「祖国のために任務を果たすために行くのであり、遊びに行くのではない」と、妻と二人の子供の同行をやめたという。公先私後に徹した軍人精神を窺うことができる。韓国人監督たちが世界各国に進出し、その国にオリンピックメダルをプレゼントするのも国威発揚といえる。

異鎭(イ・ジン)論説委員 leej@donga.com