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「パパブッシュ」の死

Posted December. 04, 2018 07:56,   

Updated December. 04, 2018 07:56

한국어

生涯の間に多くの出会いと別れを経験する。その中には未練の残る別れもあり、記憶すらない別れもある。その多くの別れのうち、再会の余地を残さない完全な別れが死別だ。

そのためか、人間は完全な別れには特別な弔意を表わしてきた。青銅器時代の人々は、大きな陶器を棺に使って埋めた。最初は、人々は故人を近くに置きたかったのか、棺を家の近くに埋めた。そのうち、このような埋葬方法が生きている人にとって有害だということを知ったようだ。次第に遺体を村の外に埋葬し始め、それでも心穏やかでないと、遠くの山の上に墓地を作り始めた。

村と社会が大きくなり、村の入口や寺院に共同墓地が作られた。韓国は儒教文化の影響なのか村や寺院の墓地があまり発達しなかったが、欧州や日本ではこのような共同墓地が発達した。

欧州の中世のある城郭都市を踏査し、遺跡の近くに作られた小さな村の共同墓地を目にした。その小さな墓地にも戦没兵士のための区域が別に設けられ、弔われていた。韓国は、高位の将軍でなければ、軍の経歴を墓碑に記すことはあまりない。欧州では、戦死者でなくても20世紀の世界大戦、あるいはそれ以前の戦争の従軍者は、軍経歴を墓碑に誇らしく記すことが印象的だった。

韓国には戦没兵士のための国立墓地がある。米国にもアーリントン国立墓地があり、聖域のように扱われている。国立墓地が悪いというのではない。しかし、国立墓地の方式が、軍と民を分ける副作用があるのではないかと思う時がある。欧州の村の墓地を訪れた時、そのような感じをさらに強く受けた。平凡な人々、父、祖父、あるいはさらに前の人々の命をかけた努力で今の私たちがいるということを体験するには、村の墓地が大いに心に響いた。

ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領が亡くなった。追悼記事を見ると、人々は彼が米大統領だったということと共に、太平洋戦争の参戦勇士だったということを共に記憶する。それがうらやましい。

歴史学者