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美の窮極は魂にある

Posted September. 17, 2018 08:49,   

Updated September. 17, 2018 08:49

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「魂のうちにある美を、肉体のうちにある美よりも尊いものとみなさなければなりません。魂が美しければ、たとえ肉体は美しくなくても、満足し、愛し、導かなければなりません」―プラトン『饗宴』

『饗宴』は、私の人生の本の中の一冊だ。大学院時代、美学史研究という授業でこの本に出会い、美と芸術に対する新たな見識を持つようになった。この本はまた、評論家として私の批評基準の指針にもなった。

プラトンは美と芸術による人間形成を議論した初の哲学者とされる。同書の全般的なテーマは愛(エロス)だ。美に対する問題は、対話の中の登場人物が愛に関して話し、美がまさに愛の対象という結論に至ることで台頭する。この「対話篇」では、ソクラテスがエロスの使者であるディオティマの教えを受け入れ、愛の秘儀を説明する。

『饗宴』でプラトンは、「肉体の美のはかなさを知った私たちは、様々な種類の知識の中にある美を見なければならない」と力説する。要するに、美の大海に向かい、その海を眺め、豊富な「愛知心」で多くの美しく崇高な言説を生み、美に関する知識を体得しなければならないということだ。感覚的な美から出発して、抽象が次第に増す段階を繰り返し、発展し、ついに究極の美のイデアに到達するのだ。

韓国社会はいつからか外形的な美を追求することが当然であるかのようになった。ソウル江南(カンナム)の大通りには、美容整形外科が立ち並び、美容整形外科マーケティングというものも生まれたという。ボトックスやピラティスで美しい容姿を得ることが流行になって久しい。自分の容姿にお金をかけることを責める人はいない。ここで重要なことは、物理的な美しさが人生の窮極の目標になってはいけないということだ。最も低い段階に過ぎないためだ。