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これも芸術?

Posted September. 13, 2018 08:50,   

Updated September. 13, 2018 08:50

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現代美術が難しく感じられるのは、これが本当に芸術なのかを判断するのが難しい時が多いからだ。アンディ・ウォーホルの「ブリロボックス」もそのケースに当たる。外見上、これらの欠片は、スポンジブランド「ブリロ」の包装箱と同じ形である。作品を積み上げて展示した姿も、スーパーマーケットに陳列された商品の姿と同じだ。商品をコピーしたものだから独創性もない。それでも価値のある芸術だろうか?

商業美術家出身のウォーホルは1964年、ニューヨークでの初個展の時、ブリロボックスを披露した。大工に作らせた木箱の表面に色を塗った後、シルクスクリーンで商品のロゴをつけて作ったものだった。展示のオープニングに出席したゲストたちは、ブリロボックスを見てあざ笑うか、歓声を上げながら楽しんだ。ゲストの中には実際にブリロボックスをデザインしたジェームズ・ハーヴェイもいた。抽象表現主義の画家だが、生計のためにフリーランサーとしてパッケージデザインの仕事をしていたはずだった。自分がデザインした箱は、包装なので価値がないのに対して、ウォーホルのボックスには、数百ドルの値札がついているのを見て、彼は呆気に取られた。驚いたものの、怒りや失望はなかった。当時、ほとんどの人たちのように、ハーヴェイもウォーホルのボックスが芸術作品とは全く思わなかったからだ。

有名批評家であるアーサー・ダントーの反応は違った。彼はブリロボックスを見て「芸術の終末」を告げながら、「ブリロボックス」の出現によってこれからは芸術を判断する時、視覚ではなく理由、すなわち哲学が必要だと主張した。ダントーが主張した「芸術の終末」は審美的楽しさを追求していた時代が終わり、芸術家が付与した意味が重要な新しい時代が始まったという意味だった。

ブリロボックス、キャンベルスープ、コカ・コーラ、有名俳優など、身近で大衆的な素材を最初に美術の対象としたウォーホルは、その後、米ポップアートの先駆者であり、20世紀の最も成功したアーティストとなった。2010年に彼のブリロボックス一つが、ニューヨークのオークションに出て、300万ドルで売れた。これは作品価格ではなく、時代を先行する革新的な思考とそれを具現したウォーホルのブランド価値だった。

美術評論家