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「大韓民国号」に難民をどれだけ乗せるのか

「大韓民国号」に難民をどれだけ乗せるのか

Posted July. 27, 2018 10:04,   

Updated July. 27, 2018 10:04

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私たちは今、救命ボートに乗って海に漂流している。ボートには50人いるが、さらに10人乗せることができる。海に投げ出された100人が救助を願っている。ボートにいる私たちはどうすべきか。

3つの選択が可能だ。①できるだけ全員を救助する。②10人だけ救助する。③救助しない。たいていは①と②を選ぶだろう。しかし、1985年にこの「救命ボートの倫理」を提示した米国の生物学者ギャレット・ハーディンは、③が正解だと言った。60人定員のボートに150人が乗れば全員が死ぬ。10人を選んで乗せることは話にならない。万一に備えて余裕分が必要なうえ、100人のうち10人をどのように選ぶのか。立派な人か、必死な人か、さもなければ先着順か。ハーディンは救命ボートの比喩を通じて、「完璧な正義は完璧な破局を生む」とし、人口過剰による環境破壊を解決するためには途上国を見捨てることもやむを得ないとし、非難を受けた。

救命ボートの倫理を利用して、済州(チェジュ)イエメン難民事態で熱くなった難民論争を考えて見よう。まず、危機に直面した難民を最大限受け入れることが人間の道理だと主張する人がいる。韓国は1992年に難民条約に加入し、アジアでは初めて2012年に難民法を制定した難民保護先進国だ。しかし、今年6月までに難民と認められたのは849人、難民認定率は4%だ。米国、ドイツ、英国、カナダなどは25~45%。韓国にだけ偽装難民が集まるのか。そうでなければ認定率が少なくとも2ケタにならなければならないという主張だ。

反対に、難民審査の手続きを強化したり、難民法を廃止しなければならないという意見もある。ただでさえ就職難で「松坡(ソンパ)三母娘」のような境遇の人も多いのに、難民に仕事を奪われ、福祉の恩恵を与え、犯罪とテロの脅威に苦しめられては、私たちまで死ぬという論理だ。特に20代や女性の難民反対の割合が相対的に高いが、それだけ仕事と安全問題に対する恐怖心が強いためだ。

 

人が先か、国民が先か。多くのジレンマがそうであるように、難民ジレンマも両極端の間に回答があるだろう。アリストテレスが言った「中庸」だ。例えば「蛮勇」と「卑怯」の両極端の間に「勇気」がある。しかし、中庸は人によって異なる。水泳が上手な人が水に落ちた人を救うことは勇気で、そのまま通り過ぎるのは卑怯だ。しかし、泳げなくて足の速い人が水に飛び込むことは蛮勇だ。そして見て見ぬ振りをするのは卑怯で、救助を要請しに走って行くのは勇気だ。

「韓国号」に乗って航海する私たちに対して、貧困と戦争と政治的迫害から逃れて来たと手を振る異邦人がいる。世界10位圏の経済大国が彼らを冷遇することは卑怯なことだ。今になって難民法を廃止して難民条約から離脱して後退することはできない。難民条約に加入した約140国の中で離脱した国はない。だからといって能力以上に受け入れることは蛮勇だ。人手不足で外国人労働者に門戸を開いた日本も難民認定率は0.2%にしかならない。その代わり支援金を多く拠出している(2017年国連難民機関国家別寄付金4位)。

韓国ギャラップが最近、成人男女1002人に済州島のイエメン難民申請について問うと、「できるだけ受け入れる」(11%)か「最小限で受け入れる」(62%)という意見が多かった。難民法廃止国民請願に対する政府の回答期限は8月13日。「卑怯」でも「蛮勇」でもない「勇気」ある答えを出すことを期待する。


李珍暎 ecolee@donga.com