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吉祥の代名詞である黄金豚の年、激動の歴史の中でも比較的平穏

吉祥の代名詞である黄金豚の年、激動の歴史の中でも比較的平穏

Posted January. 02, 2019 08:56,   

Updated January. 02, 2019 08:56

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豚が吉祥の代名詞とされるおかげなのか、激動の歴史の中でも己亥年だけは平和な時期が多かった。

朝鮮の運命が危険にさらされていた1899年も無事だった。仁川済物浦(インチョン・ジェムルポ)と鷺梁津(ノリャンジン)とをつなぐ韓国国内初の鉄道である京仁(キョンイン)線とソウル〜仁川の市外電話が開通されるなど、近代文物が流入した。ただ、最初の民間新聞だった独立新聞が、大韓帝国への批判記事により、創刊から4年後に廃刊させられた。大規模な戦争は黄金豚の年を避けて通った。1599年は、倭寇が朝鮮を侵略し、1592年から文禄・慶長の役など6年間の戦争が終わった翌年だった。

だからと言って事件がないわけではなかった。1839年は、カトリックへの迫害が深刻だった。西洋人の神父3人をはじめ、カトリック信者119人が処刑されたり投獄される「己亥迫害」で国が動揺した。勢道家門であり、カトリックに寛容だった安東金氏(アンドンキムシ)から権力を得ようとした豊穣超氏(プンヤンチョシ)が起こした事件で、以降朝廷の権力は豊穣超氏に移った。

1659年は、あの有名な「禮訟論争」が繰り広げられた年だ。朝鮮の孝宗が崩御後、朝廷は彼の義母(仁祖の継妃)である慈懿大妃超氏が喪服を何年着用すべきかをめぐって対立した。孝宗が仁祖の次男で王位についたことを考慮して、超氏が1年間喪服を着るべきだという西人の主張と、長男でなくても王室の宗統を継承したなら、当然嫡子と認められたので3年間着るべきだという南人の主張が真っ向から対立した。

1419年は、朝鮮王朝の500年間、唯一他国を侵犯して戦争を行った年でもある。倭寇の断続的な略奪に苦しんでいた朝鮮は、三軍都體察使・李從茂(イ・ジョンム)により船227隻と水軍1万7000人を率いて対馬を攻撃させた。彼は対馬沖に船を停泊して2週間の戦いを繰り広げ、対馬州道州宗貞盛を降伏させて帰還した。

鄕歌「処容歌」の主人公である処容が新羅に現れた年は879年の己亥年だ。1899年には、自由主義経済学の大物であるフリードリヒ・ハイエク、米作家アーネスト・ヘミングウェイ、映画監督アルフレッド・ヒッチコックなどが生まれた。スペインのサッカークラブ「FCバルセロナ」とイタリアの「ACミラン」が創立された年でもある。


申圭鎭 newjin@donga.com