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興南撤収「ビクトリー号」、巨済で追悼式

興南撤収「ビクトリー号」、巨済で追悼式

Posted April. 07, 2018 07:25,   

Updated April. 07, 2018 07:25

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「このように再び(韓国を)訪れ、(興南撤収作戦の当時が)思い出され、感慨無量です」

白髪の退役軍人が感激に浸った。がっしりした体格に落ち着いた声は90歳に迫る年齢を忘れさせる。6日午前10時30分、慶尚南道巨済市(キョンサンナムド・コジェシ)の巨済捕虜収容所遺跡公園の興南(フンナム)撤収作戦記念碑の前に立ったバリー・スミスさん(89・予備役大尉)。

スミスさんは、韓国戦争中の1950年12月、咸鏡南道(ハムギョンナムド)興南港で1万4千人の避難民を乗せて巨済まで成功的な撤収作戦を展開した商船メロディス・ビクトリー号の航海士だった。スミスさんの訪韓は今回が3度目。夫人のバーバラ・ハッカーさん(73)と娘のルーズ・クラークさん(62)、韓国戦争参戦勇士の家族、ティモシー・ライアンさん(70)、エリン・エイスさん(71)ら12人と来た。スミスさん一行は、中国、済州(チェジュ)、釜山(プサン)、日本を経由するクルーズ旅行中、興南撤収作戦に参加した英霊を追悼するために巨済に立ち寄った。国家報勲処からはキム・グァンウ除隊軍人局長らが参加し、パク・ミョンギュン巨済市長権限代行がスミスさん一行を案内した。

追悼式では米国の国歌と愛国歌の演奏に続き、スミスさんやキム局長らが順に記念碑に献花した。スミスさんはキム局長に米国会議事堂にかかっていた星条旗と自身の故郷のフロリダ州マイアミ市の旗を渡した。キム局長はスミスさんに文在寅(ムン・ジェイン)大統領名義の腕時計をプレゼントした。

特に当時、ビクトリー号の航海途中に産まれ、米軍が「キムチ1」から「キムチ5」と呼んだ5人のうちキムチ1のソン・ヤンヨンさん(68)とキムチ5のイ・ギョンピルさん(68)が追悼式会場を訪れた。ソンさんは、「私がキムチ1です。お目にかかれて光栄です」とスミスさんに挨拶した。スミスさんは「ああ、あなたが最初に産まれたキムチ1ですね。健康そうでうれしいです」と明るく笑った。イさんも「ウェルカム」と挨拶し、スミスさんの手を握った。スミスさんは、「米国は多くの人を避難させることに努めた。人々は混乱せず、安全に航海ができるよう信頼してくれた」と振り返った。そして、「当時、巨済島の住民たちは、寒い天候の中、食べ物と服が不足していたにもかかわらず、北朝鮮の同胞を温かく受け入れた」と語った。

スミス氏は今年1月、文氏に手紙を送り、文氏は2月に返事を書いた。文氏は「スミスさんのように使命感を持った船員がいなかったら、私の両親が巨済島に来ることができず、今日の私もいなかっただろう」と感謝の意を伝えた。ビクトリー号の乗組員のうち生存者はスミスさんを含め3人。


姜正勳 manman@donga.com