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白内障の無料手術がベトナムの心を開いた

白内障の無料手術がベトナムの心を開いた

Posted March. 15, 2018 08:12,   

Updated March. 15, 2018 08:12

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ソウル龍山区梨泰院普光路(ヨンサング・イテウォン・ボグァンロ)59ギルには「ベトナムのクイニョンギル」がある。道端にベトナム国花である蓮をパターン化し、街灯柱にはベトナムの伝統文様を刻んだ。道の真ん中のクイニョン庭園には、ノン(ベトナムの伝統帽子)を形象化した造形物を設置した。「外国人が多く訪れる梨泰院なので、通りごとに海外都市名を付けたのか」と思うかもしれないが、クイニョンギルには事情がある。

龍山区とベトナム中部の港湾都市クイニョンは、今年で22年間交流がある。人口28万人のクイニョンと龍山は猛虎(メンホ)部隊を媒介とした「縁」がある。猛虎部隊は1948年、龍山区三角地(サムガクジ)に首都警備司令部という名で創設され、韓国戦争時に首都師団に名前が変わった。ベトナム戦に参戦して派兵され、クイニョンに駐留した猛虎部隊は、我々の視点では威容に震えたが、クイニョンの人たちにとっては恐怖と恨みの対象でもあった。

1992年に韓国とベトナムが修交した後、龍山区は1996年、地方自治団体としては初めてクイニョン市を訪れた。かつてはお互いに銃口を向けた悪縁があったが、「若者たちのために新しい未来を作ってみよう」と姉妹提携した。

最初から友情が花咲いたわけではなかった。韓国に対する否定的な世論が、特にクイニョンの高齢者らの間で多かった。龍山区は、「クイニョンの心を得る」ことに注力した。奨学事業を繰り広げ、家も建てた。

クイニョンが龍山区に心を開いた決定的な契機は白内障だった。クイニョンには強烈な太陽に長時間さらされるため、白内障を患う人が多かった。これを知った龍山区は、2013年4月、クイニョン白内障センターを設立した後、毎年2度ずつ医療スタッフが出向いて手術を行い、現地の医療スタッフに医術を伝授した。昨年10月まで2600人が手術を受けて失明危機を乗り越えた。

2012年からは、クイニョンの女子学生を龍山区にある淑明(スクミョン)女子大学に留学させている。2016年に淑明大学を卒業したパムフインイクオンさん(27)とボティホンプオンさん(37)は、2012年に韓国に来て、韓国語の研修を1年間した後、4年後にそれぞれ経済学科と生命システム学科で修士号を取った。昨年まで3人が卒業し、3人が通っている。6月にまた一人の学生が来る。彼女たちはベトナムに帰って、教師、公務員、貿易会社の職員として働きながら、韓国に対する前向きなイメージを伝えるメッセンジャーの役割もする。

昨年は、クイニョンに世宗(セジョン)学堂を設立して、韓国語と韓国文化を学べるようにした。図書館には韓流関連資料も備え、月に一度韓国料理教室も開く。

クイニョンの人たちも応えている。2016年、クイニョンのとある通りを「龍山通り」と命名した。以前「韓国軍憎悪碑」があった場所に両国の国旗を刻んだ「友好交流20周年記念碑」を建てた。クイニョン市役所と龍山区役所でそれぞれ公務員2人が交換勤務を始めた。

成章鉉(ソン・ジャンヒョン)区長は、「ベトナム現地の企業研修団を含めて数百人の観光客が毎年龍山区を訪れている。将来的には龍山とクイニョンだけでなく、両国がより近づくことになるだろう」と語った。25日は龍山区順天郷(スンチョンヒャン)大学病院の医療スタッフがクイニョンを訪れて、4泊5日の日程で医療ボランティア活動を行う。


盧志炫 isityou@donga.com