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「惨めに臨終を迎える国…死は準備する時、尊厳がある」

「惨めに臨終を迎える国…死は準備する時、尊厳がある」

Posted March. 05, 2018 09:46,   

Updated March. 05, 2018 09:46

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――毎朝、新聞の訃告記事に目を通すそうですが。

「毎日、訃告記事を読むのは、臨終のロールモデルを見つけたいからです。訃告を見れば、経済的、世俗的な成就についての話が大半です。死ぬ前に、または死が迫ってどのように人生を終えるのかについての話を読みたいのですが、そのような訃告記事を見つけることはかなり難しいです」

――では臨終と関連してどんなロールモデルを期待しているのですか。

「先日、誰かがある60代の葬儀に行った話をしてくれました。出棺を終えて火葬場へ行く途中、バスの中で亡くなった故人の映像が流れたそうです。『このような雨の降る日に、私の葬儀に来て下さってありがとうございます。・・・初めて子供が生まれた時はとても感動して、・・・無事に人生を終えることができ幸せに思っています。・・・弔問に来てくださった皆様に深く感謝申し上げます』。大体このような内容だったそうです。雨が降る日に合わせたということは、天気に合わせて映像をいくつか作っておいたという話でしょう。驚くべきことで、感動的ではないですか。このように死をちゃんと準備しておくことが重要です。私たちもこうすべきではないでしょうか」

――私たちは死に対する省察が不十分なようですが、なぜでしょう。

「おそらく朝鮮時代に儒教社会を経たことが大きな影響ではないかと考えます。儒教には来世観がありません。だから現世に執着することになります。死をめぐっても死神が来て私たちを引っ張っていくと描写したりしますね」

――医師は人を生かす職業ですが、いつどのように死に関心を持つようになったのですか。

「15年ぐらい前、私が50歳になる直前でした。私が死ねばどうなるか、突然このような不安な気持ちに襲われました。だからといって教会や寺に行って解決されることではなく、科学者である医師として死後に関心も持って死全般について悩むことになりました」

――死に関心を持って省察するとどんな変化が起きましたか。

「その時までは勉強して論文を書きました。しかし、生命の有限性、死の予測不可能性、存在の重要性を悟るようになりました。その後、自分のことを整理する習慣ができました。講義資料も整理し、月給の明細書も整理し、ソウル大学病院医学博物館に寄贈もし、もちろん遺言状も準備しました。自分の葬儀に合う音楽も200曲ほど準備しました。音楽はこれからも選ぶすつもりです」

インタビューの途中、彼は「実は研修医時代、自殺の衝動にかられたことがありました。でも死に関心を持って勉強し、完全に克服しました」と告白した。死に対する省察が心に安らぎを与え、生を肯定するようになったということだ。

チョン教授は2007年12月から死生学を講義している。韓国死生学会理事を務め、死生学会の講義だけでなく全国各地を回って大衆に死について話してきた。大学の最高位課程、医学関連学会、70代の高校同窓会など講義対象も様々だ。最近、ソウル大学医学部に死生学の講座も開設した。彼の死生学講義は今月で470回目を迎える。

――死生学、死教育というと何を教えるのですか。

「死を遠ざけるのではなく、死を私たちの人生の一部と見ることができるように考えてみようというのが基本趣旨です」

――誤解や抵抗はありませんか。

「まだ死生学というと抵抗がある人がいます。ある機関では、講義の名前に『死』という単語があるといって拒否し、内容は変えずに『死』の代わりに『美しい終わり』と名前を変えたところOKしました。ある時、済州(チェジュ)で講義する時、母親に連れられて来た小学3年生の子供がいました。思ったより熱心に講義を聞いていました。ドイツは小学5年生の時から死について勉強します。もちろんペットの死に関することではありますが。高校生ぐらいなると倫理の時間に『余命を告げられた時、どうするか』、こんなことについて討論するそうです。死を勉強すれば社会が成熟することは否定できません」

――講義の時、臨死体験の話もよくするそうですが。

「臨死体験は一時的な死の体験です。瞬間的に心臓の拍動が止まって心肺蘇生で回復した人の中で10~25%が体験します。体外離脱の経験、明るい光との交信、すでに亡くなった家族との出会いなどが臨死体験の主なタイプです」

――神秘的ですが・・・魂があるという話ですか。

「臨死体験と言うと霊性術のようだと考えがちですが、そうではなく科学的な実在です。私は科学者です。私が紹介する臨死体験は、ランセットや米腎臓病学会誌のような医科学の専門学術誌に掲載された論文の内容です。魂の存在の有無ではなく、身体の作動が止まっても人間の意識は維持されるということを体験を通じて知ることができるのです。神秘体験なら、そのような学術誌に掲載されないでしょう」

――他人の臨死体験がなぜ重要なのですか。

「他人の臨死体験で死に対する恐怖をなくすことができます。瞬間的な死だったが死は苦痛ではないということを教えてくれます。特に末期がん患者のように死が迫った人は死の恐怖を和らげることができます。肯定的に変わることで自殺予防にも役立ちます。私が15年前、死の恐怖に勝ったのも臨死体験の現象を勉強したおかげです」

――最近、たいてい病院で命を終えます。

「韓国は最も惨めな臨終を迎える国です。集中治療室で人工呼吸器に頼ったまま、最後に家族に看取られることなく苦しんで亡くなります。尊厳のある死とは程遠い、孤独で惨めな死です。数十年前までは、おじいさん、おばあさんを孫が家で看取りました・・・」

――それでも集中治療室はいっぱいです。

「科学と医学の発達で延命治療が増えました。患者や家族、医療スタッフが皆、延命させなければ医療行為の失敗と見ようとします。しかし果たして末期がんの患者にまで延命治療を適用しなければならないのか疑問です」

――最近施行された「延命医療決定法」に同意されるのですか。

「そうです。無意味な延命治療は患者の苦痛だけを増し、家族に大きな痛みだけを残すことになります。延命医療決定法は日本で立法化できませんでしたが韓国はしました。延命治療に執着する慣行を正していかなければなりません」

――自分が末期がんであると知らずに集中治療室に入院した人もいます。

「末期がんの患者に事実を知らせない家族がいます。それは良くないです。患者に病気を説明して理解を求めれば、患者が積極的な治療を受けて効果が良いこともあり、残された人生を一生懸命生きようとします。そうして安らかに死を迎えることが尊厳をもって死ぬことです」

――患者は自分の死を準備する権利があるという話ですね。

「数日旅行に行く時も、家族に『戸締りをちゃんとして、食事をちゃんと食べて』などと言いますが、死に旅立つ時に何の話もできずに逝くことになります」

――高齢化時代になって生存への期待が大きくなりましたが。

「事実、最近、韓国社会のあちこちで『100歳幻想』を煽るようです。100歳時代を気軽に口にしますが、正直に言って100歳まで生きるということは並大抵のことではありません。80でも90でも立派な人生だったなら、人生の長さを延ばそうとするよりも人生をしっかり終えようとする姿勢が必要だと思います」

――周囲の人々の葬儀に行って何を考えますか。

「病院の葬儀場に行くと、亡くなった人はいません。遺体がそこにあるのではなく、少し離れた棺桶にいます。亡くなった人が好きだった音楽や映像などを弔問客が共有すれば良いのですが、それが難しいです」

――死生学者であり医師として死を何と定義しますか。

「死は冬服から春服に衣替えするようだと言いましょうか。死は消滅ではなく移るということです」

――では死をどのように準備すべきですか。

「常に家族と死について話さなければなりません。各家庭で違うでしょうが、その時その時、過ぎ去った時間を振り返り、遺言状も書き、自分が好きだった音楽や絵も探しておいて。そうすると家族に対する理解も深まるでしょう」

チョン教授が勤めるソウル大学病院は一日中忙しい。インタビューを終えて、がん病棟を出ようとすると、行き来する人々が疲れて苦しそうに見えた。その時、チョン教授の言葉が思い出された。「医師がこう言うと非難されるでしょうが、病院の入口に『人間は老いて死ぬ』と書いて大きく貼り付けておきたい」。死をもう少し肯定的に受け入れるべきという意味だった。


李光杓 kplee@donga.com