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平和主義者の子孫、安倍氏はなぜ「右翼の怪物」になったのか

平和主義者の子孫、安倍氏はなぜ「右翼の怪物」になったのか

Posted November. 11, 2017 09:10,   

Updated November. 11, 2017 10:11

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「このような話をするのは失礼ですが、晋三氏は東京で生まれて育った『お坊ちゃん』ですね。寛氏や晋太郎氏とは全く違います」

下関市付近にある長安寺の住職、有田宏孝氏(77)は、安倍晋三首相をこのように評価する。安倍家の法事を行うこの寺には、安倍氏の言葉が刻まれた石碑が立っている。安倍氏の父親の安倍晋太郎の法事では有田氏が経を唱える。しかし、著者が会った有田氏は、安倍氏の祖父の安倍寛や父親の晋太郎は尊敬するが、安倍氏には冷たい。

安倍氏も各種インタビューや著書に母方の祖父の岸信介に対する尊敬は表わすが、父方についての言及はあまりない。国会議事録に残る安倍氏の唯一の言及は、「祖父は安倍寛という人だ。反東条の立場を貫いた政治家だった」とあるだけだ。

元共同通信社会部記者でソウル特派員だった著者は、安倍氏が話さない祖父、安倍寛を追跡する。彼を記憶する故郷の住民や周辺人物をインタビューした。安倍家は、本州最西端の日置村で代々醸造業を営み、大地主として暮らした。ここで会った地元の長老たちは、寛が庶民の苦しみに耳を傾ける「神のような存在」だったと評価する。

日置村の村長から山口県議員、衆院議員を務めた寛の政治活動が残した足跡で際立つのは、寛の平和主義者、反戦主義者の姿だ。息子の晋太郎も反骨の政治家だった父親を誇りにし、バランス感覚を持つ保守主義者と評価された。地域の在日とも交流し、「平和憲法」擁護論者だった。

安倍氏が極右派のアイコンに浮上した理由は何か。著者は「世襲政治」の産物と分析する。日本で国会議員だった祖父母や両親の地盤を引き継いで当選した政治家を「世襲議員」と呼ぶ。先月の第48代衆議院選の当選者の23.4%が世襲議員だった。安倍氏は、母方の祖父の岸信介を尊敬する平凡な青年だった。後に父親の地盤を受け継いで国会入りした後、「右翼の怪物」になった。安倍家の一代記は日本の現代史の縮約だ。



金民 kimmin@donga.com