故人は1951年8月、オランダのパンフェツ部隊員(一等兵)として参戦し、韓国戦争の最も激しかった戦闘の一つに数えられる「斷腸の稜線」の戦い(1951年9月13日〜10月13日)などで共産軍と激戦を行った。以後、1952年7月に祖国に帰って除隊後、事業家として活動した。昨年5月は参戦後、初めて韓国を訪問し、同じ部隊の戦友だったニコラス・プランスべソルス氏の遺体奉還式にも出席した。当時、自分が命をかけて守った大韓民国の驚くべき発展ぶりと礼遇に感動した彼は、祖国に
今年2月4日に生を終える前、氏は、「戦友たちが眠っている韓国の地に埋葬してほしい」という遺言を残し、報勲処は遺族と協議して遺体の奉還を進めてきた。海外の韓国戦争の参戦勇士が亡くなった後、韓国に戻ってきて埋葬された事例は、2015年6月にレモン・ベルナール氏(フランスの参戦勇士)を皮切りに、アルデベロルトゥさんまで5人だと報勲処は説明した。故人の遺体は奉還式に続き、ソウル銅雀区(トンジャクク)にある国立ソウル顕忠院(国立墓地)の奉安堂に一時安置された後、27日、釜山(プサン)国連記念公園の国連軍墓地に埋葬される予定だ。
故人の遺族と参戦勇士で構成されたオランダの訪韓団は、遺体奉還式で記者会見を行った後、ソウル顕忠院と戦争記念館などを見学する予定だ。報勲処の関係者は、「今後も国連軍参戦勇士が釜山国連記念公園での埋葬を希望する場合は儀典と礼遇をつくし、参戦勇士の子孫との関係を強化する事業も継続する方針だ」と話した。
尹相虎 ysh1005@donga.com