●残り火の消化中に崩れ落ち、あっという間に惨事
隊員たちは火を消し止めた後も現場を離れず、残り火の後片付けに集中した。前日の状況に照らしてみると、火種が残っている可能性が高かったからだ。午前4時29分頃、建物の床から煙が上がると、イ・ヨンウク消防尉とイ・ホヒョン消防士が建物の中に入って、残り火の後片付けを試みた。
この時、いきなり建物が崩れ、二人の消防士は避難する暇もなく、埋没された。彼らが下敷きになった場所が出入口の手前であることを考慮すれば、崩壊に気づいて抜け出そうとして惨事にあったと推定される。仲間たちは十数分後に救助して近くの病院に運んだが、息を引き取った。
火災が発生した石蘭亭は甲寅生まれ(1914年生まれ)のメンバー21人が、1956年に建てた木造瓦の建物である。高さ10メートル、面積40平方メートル規模。撤去が予定されている無許可建物であり、住民たちによると、最近近くに大型ホテルの新築工事が進められている中、建物の外壁にひびが入るなど、安全に異常が出た。このような状態で、前日の火災で柱の支持力が弱くなったうえ、大量の水を含んでいるので、屋根と天井の重量に耐えられなかったと推定される。
●火災の原因は依然分からず
警察と消防当局が火災の原因について調査しているが、依然わからない。建物の崩壊により発火地点の特定が難しいうえ、あずま屋の内部には電気設備がなく、内部に火災を疑うほどの要因も推定するのが容易でない。失火などの外部要因の可能性も排除できないが、近くに防犯カメラがなく、断定できない。
火災当時、石蘭亭は高3メートルほどのフェンスに囲まれ、部外者の出入りが難しかった。しかし、10メートル離れたホテルの工事現場からは出入りが可能なことが分かった。工事現場と繋がった方は、Hビムだけが建てられていて、安全柵やネットがなく、部外者らが十分に出入りできる状況だった。
直接的火災原因と断定はできないが、火災現場ではシンナードラム1個が発見された。建物の管理人が取り寄せたものであり、発火とともに炎を拡散させた役割をしたものと推定されている。警察と消防当局は、「泥と木でできているので、火災に弱い石蘭亭が2度の発火で、屋根と天井の重量に耐えきれず、崩れたものと見られる」とし、「多角的に火災の原因を調査している」と明らかにした。
チェ・サンギュ鏡浦119安全センター長は、「1つのチームを組んで火事と戦ってきた仲間たちを失うことになり、残念でならない」といい、「強いリーダーシップでチームを率いてきたイ消防尉とチーム最年少でセンターの雰囲気を明るくしていたイ消防士が殉職したという事実が信じられない」と言葉を濁した。
江原道消防本部は、遺族と協議して焼香所を江陵医療院に設け、告別式は19日午前10時、江陵市役所の大講堂で江原道庁葬に執り行う。また、二人の消防士に対しては1階級特進と玉條勤政勳章 追叙することにした。二人は告別式の後、国立大田(テジョン)顕忠院(国立墓地)に埋葬される。
李仁模 imlee@donga.com · 黃聖皓 hsh0330@donga.com