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5・18の光州惨状を知らせたドイツ人のジャーナリスト

5・18の光州惨状を知らせたドイツ人のジャーナリスト

Posted August. 07, 2017 09:12,   

Updated August. 07, 2017 09:26

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映画「タクシー運転手」の実在人物であり、5月の惨状を世界に初めて伝えたドイツのジャーナリスト故「ユルゲン・ヒンチュペト」氏(写真)の最後の電子メールは、全南(チョンナム)道庁前の時計塔の復元に関するものだったことが、後で知らされた。

光州(クァンジュ)市は2015年1月12日、ヒンチュペト氏が送った最後の電子メールの全文を公開して、「昔の全南道庁前の時計塔は、必ず保全しなければならない」という願いが込められていたと、6日明らかにした。光州錦南路(クムナムロ)に位置している旧全南道庁前の時計塔周辺では、1980年5月21日夕方、戒厳軍の発砲により30人余りが死亡した。「青い目の目撃者」ヒンチュペト氏がもう一つの目撃者「時計塔」を心配した文といえる。

ドイツ公共放送「ARD-NDR」の日本特派員だったヒンチュペト氏は、5・18当時、二度、光州で現場を映像に収めた。この映像は、同年5月22日にARD-NDRに報道され、世界に光州の惨状を初めて知らせた。

ヒンチュペト氏と旧全南道庁前の時計塔とは、縁が深い。5・18直後、彼は「旧全南道庁前の時計塔は5月の真実を知っている」という内容の記事を書いた。1980年代半ば、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権は時計塔を4キロほど離れた座り込み広場に密かに移した。地元では、時計塔を元の場所に返すべきだという世論が大きくなった。最後の電子メールでもヒンチュペト氏は、「5・18と関連して時計塔(電子メールには「塔」と「鐘」で表現)の重要性とその意味は明らかである。5月の真実の記憶と保全のために重要である」と語った。続いて「私は撮影をするとき時計塔に焦点を合わせた。未来世代のために証人として時計塔を守ることが重要である。それ(時計塔)は、民主主義の始まりと自由を記念するためだ」と付け加えた。

彼の望みどおり電子メールを送信した15日後である2015年1月27日、時計塔は元の場所に戻ってきた。現在時計塔からは、毎日午後5時18分から3分ほど、「君のための行進曲」が流れてくる。

ヒンチュペト氏は昨年1月に死亡した。5・18記念財団は、彼は生前5・18当時、ソウルから光州までタクシーを運転してきた運転手「キム・サボク」氏に会いたいと各方面に聞いて回ったが、キム氏の行方は分からなかったと明らかにした。キム・ヤンレ5・18記念財団常任理事は、「キム氏が生存していれば、当時の鮮やかな状況を証言してくれることを願う」と話した。



李亨胄 peneye09@donga.com