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韓中国交の立役者、中国の銭其シン元副首相が死去

韓中国交の立役者、中国の銭其シン元副首相が死去

Posted May. 12, 2017 08:54,   

Updated May. 12, 2017 08:55

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1992年の韓中国交樹立の立役者であり、江沢民時代に中国の外交を総指揮した銭其シン・元副首相が9日、北京で病気のため死去した。享年89歳。

中国天津出身の銭氏は、外相だった1992年8月、韓国の李相玉(イ・サンオク)外相(当時)と両国の修交に署名した。2003年に出版した回顧録『外交十記』で、韓中国交正常化の裏話を記録した。1991年11月、ソウルに来た故人が秘密裏に大統領府を訪れ、盧泰愚(ノ・テウ)大統領に国交正常化を提案し、韓国政府は最初は戸惑ったが、すぐに応じたという内容だ。

韓中国交樹立を金日成(キム・イルソン)主席に伝えたのも故人だった。国交樹立を1ヵ月先に予定した1992年7月に北朝鮮を訪れ、この事実を伝えると、怒った金主席の表情は固まった。金主席は、「すでに決定されたなら、そうしなさい。私たちはどんな難関があっても克服する」と答え、儀礼的な昼食会もなかった。その後8年間、中朝両国の最高指導者級の相互訪問は行われなかった。

故人は、1993~2003年に副首相(外交担当)を務め、1997年に香港、1999年にマカオの返還作業を主導した。2003年、故盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の就任式にも出席した。新華社通信は、故人について「中国外交戦線の傑出した指導者」だったと評価した。



尹完準 zeitung@donga.com