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龍山米軍基地、111年前の明細図が発見

龍山米軍基地、111年前の明細図が発見

Posted July. 14, 2017 09:22,   

Updated July. 14, 2017 09:42

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ソウル龍山(ヨンサン)に外国軍の基地ができる前の状態が描かれた地図が111年ぶりに公開された。日本軍が1906年にここに軍基地を建設するために作成した61ページの資料に含まれていた。日本陸軍省が「官房 韓国収容地に関する件」と題して作成し、様々な手紙と記録で構成されている。

龍山区が13日に公開した資料の後ろの部分には、約900万平方メートルの龍山軍用地の面積と境界線が表示された「韓国龍山軍用収容地明細図」が9ページにわたって掲載された。この地域の旧名は屯之尾(トゥンジミ)村で、今の梨泰院厚岩洞西氷庫洞(イテウォン・フアムドン・ソビンゴドン)一帯だ。屯之尾村は当時、屯芝坊に属した。日露戦争で勝利した日本は、1905年に日韓議定書をつきつけて、約300万坪(約992万平方メートルの屯之尾村を収容した。当時、反発した屯之尾村の住民たちが日本憲兵に逮捕された。

 

明細図には、当時の村の名称や位置、規模だけでなく、現在はほとんど覆蓋された蔓草川などの地形が詳しく描かれている。朝鮮通信使が日本を往来する時に利用した厚岩洞~西氷庫洞間の道も描かれている。家屋1万3000棟、墓地18万9000基、田畑90万坪(約297万平方メートル)など日本軍が調査した具体的な数値も含まれている。1906年6月から翌年4月までに屯之尾村を強制撤去したという記録もある。

資料の前面には、当時駐留した韓国駐箚軍司令部と朝鮮統監府、日本陸軍省が交わした議論の内容も記載されている。

公開された資料は、20年以上、地域史を研究している龍山文化院歴史文化研究室のキム・チョンス室長が日本アジア歴史資料センターの数十万件の文献を照会して2014年に発見した。龍山区は11月に「龍山基地と屯之尾村の歴史をたずねて」という冊子を発行する計画だ。



洪禎秀 hong@donga.com