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男子アイスホッケーの快挙、鄭夢元会長の辛抱強い投資の結実

男子アイスホッケーの快挙、鄭夢元会長の辛抱強い投資の結実

Posted May. 01, 2017 08:53,   

Updated May. 01, 2017 08:54

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韓国男子アイスホッケーの歴史的なワールドチャンピオンシップ(トップディビジョン、1部リーグ)進出の原動力を説明するとき、必ず触れなければならない人がいる。2013年から大韓アイスホッケー協会長を務めている鄭夢元(チョン・モンウォン)漢拏(ハルラ)グループ会長(62)だ。

1994年に「安養(アンヤン)漢拏」(前マンドウィニア)を設立した鄭会長は自他ともに認めるアイスホッケーマニアだ。1997年の通貨危機でグループが大きな危機を迎えたとき、目玉企業を売却しながらもアイスホッケーチームだけは捨てなかった。

「20年以上も、なぜ非人気競技チームを運営しているのか」と聞かれる度に、鄭会長は「アイスホッケーを通じて不可能に見えることを可能にするチャレンジ―精神を学んだ」と話した。

韓国アイスホッケーは鄭会長の主導で2003年に創設された韓中日リーグを通じて先進のアイスホッケーを学ぶことができた。リーグ発足当時、安養漢拏の職員だったヤン・スンジュン協会専務は、「日本チームはレベルが低いとして韓国チームとの交流自体を嫌がった。最初は大差で負けていた韓国チームが年を重ねながら日本チームを追い上げるようになった」と振り返った。

鄭会長が2013年から稼働した「フィンランド・プロジェクト」は韓国アイスホッケーが発展する起爆剤となった。安養漢拏は2012年からアイスホッケー強国のフィンランドの2部リーグに選手10人を派遣した。しかし、その選手たちはなかなか出場機会をつかめない状況が続くと、翌年にはフィンランド2部リーグのキエコワンタを買収し、選手たちに経験を積ませた。

韓国軍チームの尚武(サンム)をアジアリーグに組み込ませたのも大きな力になった。鄭会長が国防部と日本チームを説得し、2013~2014シーズンから3シーズンの間、尚武がアジアリーグに入ってから選手たちが試合感覚を保ったまま所属チームに復帰できるようになった。

2013年にペク・ジソン氏を代表監督に招へいしたのも「神の一手」だった。そこに外国人選手7人の帰化に成功し、韓国代表チームは歴代最強の戦力を築くことができた。

この3年間、韓国は一度も勝ったことがない日本、カザフスタン、ハンガリーを次々と破り、国際アイスホッケー協会(IIHF)から平昌(ピョンチャン)冬季五輪自動出場権を得た。その上、トップディビジョン進出という快挙を成し遂げた。その背景には20年以上を辛抱強く支え続けた投資があった。



李憲宰 uni@donga.com