32歳で朝鮮の地を踏んだ氏は当時、朝鮮人たちも背を向けていた孤児と寡婦、ハンセン病患者らを養い、教育を行った。風土病と栄養失調で他界する瞬間は、自分の体を医学の発展に寄贈した瞬間と言える。制作陣は1年以上の期間中、ドイツのヴィースバーデンや米ニューヨーク、全羅道(チョンラド)と済州島(チェジュド)一帯を回り、徐徐平宣教師の生活を追った。映画を演出したホン・ジュヨン監督は、「韓国宣教の歴史は、男性宣教師や多くの成果が知られている宣教師を中心にスポットライトが当てられてきた」と語り、「この映画には、捨てられた痛みや苦しみを持つ人間(徐徐平)が変化し、痛みを昇華させる過程を生々しく盛り込んだ」と説明した。俳優のハ・ジョンウがナレーションを担当した。
張善熙 sun10@donga.com