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国宝第102号・弘法国師塔の消えた「相輪」発見

国宝第102号・弘法国師塔の消えた「相輪」発見

Posted January. 20, 2017 08:34,   

Updated January. 20, 2017 08:38

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国宝第102号「弘法国師実相塔」の相輪(塔の最上部にある装飾部分)が消えてから半世紀ぶりに、つい最近国立中央博物館の収蔵庫で発見された。

 

独特の丸い形の塔身石で有名な高麗時代の傑作の完全体を長い歳月が経って鑑賞できるようになったのだ。これに先立ち「原州法泉寺址智光国師玄妙塔」(国宝第101号)獅子像も国立中央博物館の収蔵庫で発見されており、未登録文化財を徹底的に調査する必要が指摘されている。

国立中央博物館は、「昨年、収蔵庫内の未登録の石造物を調査した際、縦に破損した弘法国師塔の相輪を発見した」と明らかにした。博物館側によると、この相輪は1961~1967年のある時点で塔から分離され別に保管されたと調査された。日本による植民地支配期に縦に割れて固定できなくなり、1960年代に分離されたと推定される。これは、植民地支配期と光復(クァンブク・解放)後に弘法国師塔を撮影したいくつかの写真を比較調査して確認された。相輪が別途に収納された後、保管記録が管理されず、50年以上忘れられたまま収蔵庫に放置されたと見える。これと関連して、智光国師塔の獅子像もしばらく紛失したとされたが、植民地支配期の撮影写真と比較した際、国立中央博物館の収蔵庫に保管されていたことが後に明らかになった。

本来、忠清北道忠州(チュンチョンプクト・チュンジュ)の浄土寺(チョントサ)の場所に建てられた弘法国師塔は、植民地支配期、忠州郡庁を経て、1915年に景福宮(キョンボククン)の境内に移された。朝鮮総督府が同年9、10月に景福宮で朝鮮物産共進会を開催し、塔を移動したと推定される。現在、弘法国師塔はワンセットである塔碑(宝物第359号)とともに保存処理を終え、昨年6月にソウル龍山区(ヨンサンク)の国立中央博物館の石造物庭園に再び設置された。昨年の再設置では相輪がなく、屋蓋石だけが復元されていた。

収蔵庫で50年以上眠っていた相輪が、本来の場所に戻ることができたのは、様々な科学調査のおかげだ。博物館側は、相輪を3Dスキャナーで撮影し、イメージを1918年頃に撮影された弘法国師塔の写真の上にのせて形や角度、大きさなどを精密に比較した。その結果、3Dイメージと1918年の写真の相輪のイメージが正確に一致した。このほかに、電子顕微鏡や偏光顕微鏡、X線回折分析、微細磁気分析などを通じて、塔と相輪が同じ岩石成分(結晶質石灰岩)であることを最終確認した。

博物館側は、今回の科学分析に基づいて破損した相輪を復元して塔につける方針だ。幸い相輪が横ではなく縦方向に割れ、円形の復元に大きな困難はないと予想される。博物館関係者は「文化財委員会の現状変更承認を経て、年内に復元を終える計画だ」と話した。



金相雲 sukim@donga.com