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4代170年にわたる「普信閣鐘楼守り」、チョン・ブナムさんが語る亡き夫と後継ぎ

4代170年にわたる「普信閣鐘楼守り」、チョン・ブナムさんが語る亡き夫と後継ぎ

Posted January. 02, 2017 08:45,   

Updated January. 02, 2017 08:45

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「一日24時間、退社なしにずった普信閣(ボシンガク)鐘の管理所で寝泊まりしていました。当時は交代勤務がなかったので。ひょっとして『鐘様』に何か起こるのではと、40数年間をあそこで暮らしました」

普信閣鐘の管理所長だった故チョ・ジンホさんの妻チョン・ブナムさん(86)。チョンさんの亡き夫チョ所長は、ソウル鐘路区(チョンノグ)の普信閣で44年間を過ごした鐘楼守りだった。チョンさんは、「嫁に来てから聞いた話で正確なことは分からないが、夫の曽祖父から4代、170年間鐘様を祭ってきたという」と話した。チョンさんは25歳だった1956年、この家の嫁になった。

「最初、結婚の話が持ち込んできた時、夫の実家が何をする家か、鐘楼守りとはなにかを全く知りませんでしたね。来てみたら、義父は普信閣の鐘を管理する公務員でしたね」。チョンさんの義父、故チョ・ハンイさんは、英親王の護衛軍管出身だったという。韓国戦争の時、避難せず、鐘を守ったので、妻、すなわちチョンさんの義母が片手を失くす負傷を負ったこともある。

義父は亡くなる時まで、鐘のことばかり心配していたという。「義理のお父さんは夫に、『お前が家業を継がなければならない』と言いましたね。結局、夫は事業を辞めて実家に戻りました。当時は、義理の祖父もやっていたし、義父もやったことなので当たり前だと思いました」

夫は1962年、父親の葬儀を終えた後、普信閣鐘の事務所に入った。上辺は事務所だったが、プレハブに近いものだった。机もなかったので、板を敷いて使った。

「通りかかる人たちがトイレだと思って入ってはびっくりして出て行ったことも沢山ありましたね」。しかし夫は一度も不満を口にしなかったという。「あのバラックで毎日体を洗い、寝たり、朝夕は鐘様の掃除をしました。結局、私も毎日のように普信閣に通勤しましたね。夫のお弁当を手にして」

勤務環境だけが劣悪だったわけではなく、仕事もつらかった。「こっそり入ってきて鐘を打つ人たちのために、びっくりしたことが一度や二度ではありませんでした。除夜の鐘打ちなどの行事のある日は、徹夜をしました」

酔っぱらいのために下着姿で飛び出して、喧嘩になり、警察署に行ったことも一度や二度ではなかったという。そうして70歳を超えるまで、鐘様を守っていた夫は2006年12月、わき腹に違和感を訴えて訪れた病院で、がん末期判定を受けた。すでに、手を付けられない状態だった。44年ぶりに事務所を離れて入院したが、10日後、夫は嘘のようにこの世を去った。生涯の鐘楼守りの功労が認められ、除夜の鐘を打つ日を、わずか一週間後に控えた時だった。

2015年12月31日、チョンさんは夫の代わりに除夜の鐘を打つ市民に選ばれ、ほかの10人と一緒に鐘を打った。今も、除夜の鐘打ち行事のたびは、夫のことが思い出されて涙がでるが、5代目の鐘楼守りに選ばれた夫の弟子であるソウル市のシン・チョルミン主務管のことを思うと心強いという。

「末息子と呼んでいます。管理所の事務所も、(シン主務官が)乗り出して2階に立て直しましたよ。うちの孫に、6代目の鐘楼守りを引き継がせて、師匠の代を継がせせたいと言ってますね」。チョンさんの孫は今20歳だ。孫がまた鐘楼守りになってもいいのかと尋ねると、チョンさんは、「孫は嫌だとは言ってないけど」と笑った。



李美智 image@donga.com