Go to contents

[オピニオン]「違うならそれまで」の起訴や裁判

[オピニオン]「違うならそれまで」の起訴や裁判

Posted September. 28, 2016 08:52,   

Updated September. 28, 2016 09:07

한국어

「それでもボクはやっていない」(2007年)という日本映画がある。「Shall we ダンス?」を作った周防正行の作品だ。地下鉄でわいせつ行為をした犯人だと誤認逮捕された男性主人公が潔白を主張して、法廷で攻防を繰り広げる内容だ。映画の中で、男性主人公の最初の弁護人は、彼に対し、刑事起訴事件で有罪判決が出る確率は99.9%だと主張し、むしろ罪を認めて、罰金刑を受けるのがよいと勧めるシーンが出ている。99.9%とは、映画の中に出てくる数値ではなく、実際の数値だ。

◆映画の中の1審判事は、自分の職をかけずに検事の起訴を覆すことはできないだろうと受け止めている。彼が無罪判決を下したのに、上級審で覆されれば、彼は服を脱ぐことになるかもしれない。しかし、1審の判事が、これは到底できないと思って無罪判決を下し、それが上級審で受け入れられれば、今度は起訴した検事が服を脱がなければならない。度が過ぎているのが問題とはいえ、起訴であれ、裁判であれ、職をかけるという一所懸命な精神は、見習うに値する。

◆それに比べれば、韓国の判事検事は「違うならそれまで」だ。李完九(イ・ワング)元首相が昨日、控訴審で違法政治資金授受容疑について、無罪判決を受けた。裁判部は、「成完鍾(ソン・ワンジョン)元京南(キョンナム)企業会長が残したメモや録音ファイルのうち、李元首相に関する部分は、合理的疑いの余地を排除できるほどに達したとは受け止めがたい」と判断した。同じ証拠について、1審裁判部は正反対に判断した。判断が変わった理論も何もない。ただ、そう見ただけだ。これでは韓国の刑事判決は研究する価値すらないという声が出ている。

◆ほかの人でもなく、ひと月前までは首相だった人物を起訴したのに、無罪判決が出れば、起訴した検事は日本でなら服を脱いだだろう。首相について有罪判決を下したのに、控訴審で覆されれば、1審判事も服を脱ぐことになるだろう。韓国ではそうではない。かえって、敗訴した検事や判決が覆された判事は、成功し続けるケースもたびたびある。控訴審判決はまた最高裁で覆されないという保障などない。これでは、誰が起訴に承服し、判決に承服するだろうか。

宋平仁(ソン・ピョンイン)論説委員 pisong@donga.com