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米、1994年に寧辺爆撃を検討、全面戦争を憂慮して放棄

米、1994年に寧辺爆撃を検討、全面戦争を憂慮して放棄

Posted September. 24, 2016 08:33,   

Updated September. 24, 2016 08:58

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北朝鮮に対する先制攻撃論は、1回目の核危機が起こった1994年にも台頭した。北朝鮮が核不拡散条約(NPT)脱退を宣言し、寧辺(ヨンビョン)核施設で使用済み燃料棒の再処理をする動きを見せたため、米国は寧辺核施設の爆撃を検討した。

米国のペリー国防長官(当時)の回顧録によると、米国は再処理施設を攻撃する「外科手術的先制攻撃」を立案した。在韓米軍が増員され、釜山(プサン)港に戦時物資が到着するなど、実際の戦争準備の動きも見せた。金泳三(キム・ヨンサム)大統領(当時)は、強く反対して先制攻撃を阻止し、戦争を防いだと退任後に主張したが、ペリー元長官は、北朝鮮の報復攻撃と全面拡大の恐れのため、「ペンタゴン会議で攻撃計画はテーブルの隅に追いやられた」と明らかにした。当時の事情を知る韓国外交官は、「韓国に滞在する米国民を日本などに避難させるのに1週間以上かかるという結論が出たため、米国も爆撃を強行できなかった」と説明した。

米政府が北朝鮮への爆撃より北朝鮮制裁に旋回して検討していたところ、同年6月15日にジミー・カーター元大統領が訪朝し、金日成(キム・イルソン)主席と「北朝鮮制裁の留保と再処理中止」で合意し、南北首脳会談のカードを出したことで、1回目の核危機は鎮静化した。



조숭호기자 チョ・スンホ記者 shcho@donga.com