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コメディアン具鳳書氏が死去、「笑いには退職などない…死ぬ日が引退の日」

コメディアン具鳳書氏が死去、「笑いには退職などない…死ぬ日が引退の日」

Posted August. 29, 2016 07:05,   

Updated August. 29, 2016 07:31

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「笑いには退職がない。私が死ぬ日が引退の日です」(自叙伝『コメディのうえの人生』(1997年))

永遠の「末っ子」。韓国コメディの大きな星、具鳳書(ク・ボンソ)氏が27日、世の中に引退を告げた。享年90歳。遺族は、具氏が肺炎で約10日前に入院して治療を受けていたが、突然病状が悪化したと説明した。

ソウル聖母病院の安置室には多くのコメディアン仲間や後輩、教会信者が訪れ、具氏の永眠を悲しんだ。2ヵ月前に具氏に会ったという宋海(ソン・ヘ)氏(89)は、「苦しい時代に国民を楽しませるコメディの鑑だった。あの世では先に逝った先輩たちに会って楽しんでほしい」と具氏の死を悼んだ。

具氏の後輩の厳龍洙(オム・ヨンス)韓国放送コメディ協会会長は、「コメディだけでなく、映画や楽劇など多彩なジャンルで見せた優れた演技は、後輩がついて行けないほどだった」とし、「時代へのストレートな批判精神を持ちながら、世の中に対しては温かい心の人」と話した。

具氏は、1945年に楽劇団の喜劇俳優となり、裴三龍(ペ・サムリョン)、ソ・ヨンチュン、郭圭錫(クァク・ギュソク)氏などと共にテレビのコメディの基礎を築いた第1世代のコメディアンだ。約400編の映画と980編の番組に出演し、「兄が先、弟が先」、「金寿限無(キム・スハンム)亀と鶴~」などの流行語でも人気を博した。

1926年11月に平壌(ピョンヤン)で生まれた具氏は、19歳で「太平洋楽劇団」の団員になり、喜劇舞台でデビューした。具氏は1956年に映画「愛情の波」に出演し、活動の場をスクリーンに移した。具氏に「末っ子」というニックネームがついた作品は、コメディアンのイ・ジョンチョル、金喜甲(キム・ヒガプ)、楊薫(ヤン・フン)氏と出演した映画「五父子」(1958年)だった。その後、コメディ映画の全盛時代を開き、1960年代中盤まで俳優として活躍した。具氏が出演した兪賢穆(ユ・ヒョンモク)監督の映画「修学旅行」(1969年)は、テヘラン国際映画祭で作品賞を初めて受賞した。

テレビ番組では、MBC「笑えば福が来る」は具氏と切っても切れない番組だった。1969年から1985年まで15年と8ヵ月の間、1度も休むことはなかった。具氏は、1963年の東亜放送開局ラジオ番組「アンニョンハシムニカ?具鳳書です」では、社会風刺もした。5分間のワンマンショーの同番組で、具氏は「これでいいんですか。これじゃだめです」という言葉を流行させた。具氏は生前、あるインタビューで、「コメディはただ笑わせるだけではない。メッセージがなければならない。枝葉的なギャグは、人々を少しの間笑わせることができるが、考えさせることはできない」と強調した。

具氏は、2009年に脳いっ血で手術を受けるまで、「笑わせる仕事は本当にやりがいがある」と言い、旺盛に舞台活動を続けていた。故裴三龍氏(1926~2010)と共に「あの時あのショーをご存知ですか」(2002年)という作品も作った。2013年には、大衆文化芸術賞の銀冠文化勲章を授与された。具氏は生前、インタビューで、「人々が具鳳書を思い出して『そうだ、昔、具鳳書がいた。あの人のコメディは良かった』と言ってくれると有り難い」と話した。

妻と4人の息子がいる。出棺は29日午前6時。墓地は京畿道南揚州市(キョンギド・ナムヤンジュシ)の牡丹(モラン)公園。



정양환기자 チョン・ヤンファン記者 ray@donga.com