Go to contents

イタリア中部で地震M6.2

Posted August. 26, 2016 07:15,   

Updated August. 26, 2016 08:56

한국어
イタリア中部のウンブリア州ノルチャで24日に発生したマグニチュード6.2の地震で、600人余りの死傷者が発生した。AP通信によると、地震発生24時間後の25日午前3時半までに247人が死亡し、少なくとも368人が負傷した。最初の地震から3時間の間にマグニチュード5.5以下の余震が17回も続いた。数千人の観光客が地震発生地域に滞在していたと推定され、人命被害はさらに増えるものとみえる。被害地域の一つであるラツィオ州アックーモリは人口が600人だが、観光シーズンには5千人以上が訪れる。

現地の消防隊や軍部隊、山岳救助隊、ボランティアは、救助犬やブルドーザーだけでなくシャベルや素手でがれきを取り除き、生存者の捜索に死闘を繰り広げている。今回の地震で事実上、廃虚と化したマルケ州ペスカラ・デル・トロントでは、消防隊員ががれきに閉じ込められていた10才の少女を地震発生17時間後に劇的に救出した。イタリアのマッテオ・レンツィ首相は、現場を訪れ、「今は涙を流して祈るが、明日から再建に立ち上がる」と犠牲者を悼んだ。

地震が強打したアックーモリ、アマトリーチェ、ペスカラ・デル・トロントは、アペニン山脈の山岳都市だ。CNNは、人口が少なく建物を別荘程度に考えて耐震に積極的に投資しなかったために被害が増えたと指摘した。イタリアは、2度の世界大戦の被害からの復興で地震対策を立てることができず、不法無許可の建物も多い。

米紙ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、ベップ・セヴェニーニ氏は、コラム「イタリアの壊れやすい美」で、「現代化を妨げる文化遺産保護法が建物を脆弱にした」と主張した。中世時代の建物は撤去して再建してこそ地震に耐えることができる。

被害地域のノルチャは、キリスト教の聖人、聖ベネディクトが生まれたところだ。聖ベネディクトの生家があった場所と推定される所に建てられた12世紀の聖堂が今回の地震で破損した。中世の要塞に建てられた博物館、14世紀のフレスコ画、ローマ時代の城壁も危険だ。ラツィオ州アマトリーチェは、戦場を彷彿とさせる廃虚と化した。15世紀の聖アウグスティヌス聖堂の正面半分が倒壊し、美しさで有名なバラの模様の窓が失われた。ルネサンス時代に建てられた大邸宅の庭は霊安室となった。

復旧作業もかなりの時間がかかるものと懸念されている。山岳地域なので救助隊の接近が容易でなく、素手やシャベルで「中世式」の復旧作業をしなければならない。イタリア政府の官僚主義や財源不足も復旧作業の展望を暗くする。2009年4月、アブルッツォ州ラクイラでマグニチュード6.3の地震が発生した時も政府の対応は遅く、地震発生の3年後に聖堂と学校の復旧工事が始まった。7年間で135億ドル(約15兆1200億ウォン)が投入され、2019年に復旧作業が終わる見通しだ。

ローマ法王は、地震が発生した24日、バチカンのサン・ピエトロ広場に集まった1万人以上の信者とともに地震の被害者のために祈った。米国のオバマ大統領は、イタリアのマッタレッラ大統領に電話をかけて哀悼の意を伝え、支援を約束した。ドイツのメルケル首相は、レンツィ首相に「大変な苦しみと大量の破壊を目の当たりにし、ドイツ国民の深い悲しみを伝えたい」と述べた。フランスのオランド大統領は、「あらゆる必要な支援をする」と申し入れた。



이유종기자 イ・ユジョン記者 pen@donga.com