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[チョ・ギョンランの物の話]鉛筆

Posted August. 03, 2016 07:59,   

Updated August. 03, 2016 08:44

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新学期は鉛筆を削ることで始まった。生活が苦しい時代だったろうに、父親は鉛筆やノートなどの学用品だけは十分に買い与えた。1970年代後半なので、おそらくラクダ印の文化鉛筆や東亜鉛筆だっただろうが、私の人生の初の鉛筆は砂漠で建設の仕事をしていた父親が家に帰ってきた時に耳にさしていた芯が四角形の真っ赤な鉛筆だったように感じられる。大きくなって、あれは大工作業をする時に使う鉛筆ということを知り、今でもそれを鉛筆でいっぱいの鉛筆立ての中に大事に立てている。

私はカッターで鉛筆をとても上手に削る長女として成長した。しかし、何を間違ったのかわからないが、20才になった時、私は部屋に一人残されることになった。その後5年間。友人や弟、妹たちは大学に行って就職し、皆華やかな美しい蝶になって遠くに飛んで行くように見えた。部屋の外の全てのものに塀を築き、飲んで食べて本を読むことだけに没頭し、頭を上げてみると机に1本の鉛筆が置かれていた。これまで見た鉛筆の中で最も尖って、黒くて長い芯の鉛筆のようだった。その時の私の無気力と疎外感を刺して破っても余るほどに。

その日の夜、その鉛筆を手に初めて詩を書いた。

『最高に楽しい文房具の歴史雑学』という本を見ると、『チャーリーとチョコレート工場』で有名なロアルド・ダールは1日に鉛筆6本を使い、ジョン・スタインベックは6時間手に鉛筆を握っていたという。私が読んだ鉛筆に関する最も素敵な話は、やはりポール・オースターに関することだ。彼が8才の時、好きな野球選手のサインをもらうために試合が終わった後、会いに行ったが、サインをもらうことができなかった。誰のポケットにも鉛筆がなかったためだ。その日以降、オースターはどこへ行っても鉛筆を必ず持参した。後に大作家になった彼は、「鉛筆をポケットに入れていると、使いたいという衝動にかられる」とし、自分はそのおかげで作家になれたと告白する。

数年前から私が使う鉛筆には2つの言葉が刻まれている。「日々の努力」、「一歩一歩前進」。鉛筆に関することで後悔することもある。小学生の時、好きでない男子生徒が隣の席になると、私は容赦なく鉛筆で机のまん中に線を引いて無愛想に言った。「この線を越えないで」。

長い間鉛筆を握り、私は結局、書く人になった。人と人、こちらとあちら、見えない多くの線を消していくそのような文をいつかは書くことができるだろうと、気長に考える。夢を鉛筆で書くことをあきらめなければ。小説家。