Go to contents

[オピニオン]尹昶重の「無念な流刑」

Posted June. 08, 2016 07:23,   

Updated June. 08, 2016 07:37

한국어

「家内が結婚した。これがすべてだ。…僕の人生はめちゃくちゃになった」。パク・ヒョンウクの長編小説「妻が結婚した」の書き出しだ。ところが、このように始まる文も出ている。「妻が凄惨に崩れ落ちた。わずか5日間で」。小説のような緊迫感を呼び起こす。尹昶重(ユン・チャンジュン)元大統領府報道官が7日、「尹昶重のコラム世界」に掲載した文の最初の行だ。2012年12月、朴槿恵(パク・クンヘ)次期大統領の報道官となったことで、ブログを中止していた彼が、ネット上での書き込みを再開した。

◆尹昶重は2013年5月、朴大統領の初の海外歴訪国だった米国で、女性インターンへのセクハラ疑惑で逃げるかのように途中帰国後、職権免職となった。当時、米紙ニューヨークタイムスは彼に関する記事を3回も掲載するほど、にぎやかに国に大恥をかかせた。朴大統領の訪米成果が何かは分からなくても、尹元報道官のみっともない行動は、事細かく知られたほどだ。その後、彼は自宅に閉じこもって自ら幽閉でもするかのように暮らした。

◆当時、与党セヌリ党の朴敏植(パク・ミンシク)議員は、「新政府初期に多くの国民から叱責を受けたのは、人事失敗だった」と言い、「尹昶重何かのような人を起用したために批判を受けた」と嘆いた。いざ、尹昶重は、公訴時効である3年が過ぎても米検察が自分を起訴しなかったのは、罪がないからだと主張し、「人生こそ、物事は必ず正しきに帰することを痛感する」と語った。韓米関係を考慮して、不起訴となったという背景には触れなかったのはもちろんだ。あれほど堂々とできたなら、なぜ、もっと早く世の中に出てこなかったのか。

◆尹昶重は記者→盧泰愚(ノ・テウ)政権下の大統領府行政官→記者→李会昌(イ・フェチャン)候補のメディア担当補佐役→論説委員→テレビ報道番組のコメンテーター→大統領府報道官へと変身を繰り返した。今は、自分の存在理由は文を書くことであり、死ぬ前に恨みを晴らす公正な記録を残したいと、文のタイトルを「私の魂の傷跡、尹昶重の自伝的エッセイ」と名付けた。最初のエピソードで、彼は3年間罪なしに流刑をさせられた被害者と描いている。「大韓民国の言論やその言論の後ろに隠れている陰湿な勢力がコラボ(共同作業)した人民裁判、世論裁判、人格殺人!」と批判した彼の記録が、果たして客観的かどうか疑問だ。

異鎭(イ・ジン)論説委員 leej@donga.com