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[オピニオン]光州、米国、金日成

Posted May. 23, 2016 07:36,   

Updated May. 23, 2016 07:46

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1985年5月23日、ソウルの5つの大学の学生73人が、乙支路(ウルジロ)にある米文化院を占拠して、「光州(クァンジュ)虐殺の責任を取って、米国は公開謝罪せよ」と掛け声を避けながら、3日間立てこもった。5.18民主化運動には米責任があるという疑惑が、当時の運動圏にはみなぎっていたが、ソウル都心で米国の責任論を叫んだのは初めてだった。学生たちはソウルで開かれた南北赤十字会談への影響は避けたいと立てこもりを解散したが、ソウル大学の李賢宰(イ・ヒョンジェ)総長や金錫輝(キム・ソクフィ)法務部長官の更迭などその影響は大きかった。

◆5.18民主化運動の米責任論は、北朝鮮が早くから提起した。金日成(キム・イルソン)は1980年10月、労働党第6回大会で党中央委員会事業総和の報告を通じて、公式に言及した。「光州の愛国的蜂起者たちへの野獣的殺戮蛮行を指揮したのも米国であり、南朝鮮民主化運動の関係者らを過酷に弾圧するよう煽てたのも米国であり、南朝鮮で軍事ファッショ独裁政権を操作して、人間の白丁をトップの座に座らせた黒幕もほかならむ米国だ」。金日成が米国を「虐殺蛮行の黒幕」と直接決めつけたのは、当時にはよく知られなかった。

◆金日成は、米国は「身震いのする流血惨劇を引き起こした責任から脱することなどできない」と糾弾したが、その狙いがほかにあった。彼はその場で、「我々は朝鮮と米国との間の対話を実現して、平和協定を交わすことを、米国にすでに何度も提案した」と語り、「停戦協定を平和協定へと変えることについて交渉することを、米国に改めて提案する」と、口ぶりをがらりと変えた。あんな提案は、「米国人民たちの利益や念願にも合致することだ」という甘い言葉まで加えた。

◆米国は、「光州に投入されたいかなる部隊も、米国の統制下になかった」と1989年6月19日、国会光州特別委の質疑に答弁する声明を通じて、公式釈明した。それでも信じない人たちがいる。運動圏も最近は、やたらに反米は主張していないが、米大使館などの警備は依然物々しい。金日成が光州を取り上げながら、米国を批判する一方、米朝対話を乞ったことを知っていたなら、386(30代、80年代に大学に通った1960年代の生まれ)の反米気流は変わっただろうか。

韓起興(ハン・ギフン)論説委員 ligius@donga.com



한기흥기자 ハン・ギフン記者 eligius@donga.com