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山道

Posted April. 20, 2019 08:18,   

Updated April. 20, 2019 08:18

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人間が持つ対外的力はますます強くなっている。まるで鋼の壁で取り囲んだように、人間は文明の恩恵を着てすべての生命の上に君臨する強者になっていく。しかし、私たちは知っている。種としての人間が強くなるほど、個々の一つ一つの心はますます弱くなっているという事実をだ。

弱くなっているせいで、私たちの「恐怖のリスト」はどんどん増えていく。私たちは、突然攻撃してくる他人が怖い。人間関係から受ける傷も恐ろしい。他人があまりにも怖くて、一人でいることを選んだところ、今度は空虚さが恐ろしい。一人でがらんとした空間と時間に耐えることが苦しくて、耐えることができない。ジレンマだ。このように弱い私を知っていたのか、あらゆる媒体、インターネット、商品が説得する。私を選べばこれ以上の苦痛はないと。その言葉が真実であることを信じていたが、現代人の恐怖と孤独は止まらない。

本当に、私たちに必要なものは何だろうか。私たちは、寂しさではなく、孤独を学びたい。恐怖ではなく、思索に嵌りたい。それなら、孤独な隠遁者になるより、孤独な散策者になる必要がある。それが何かを尋ねる方々にこの詩を推薦したい。この詩は、「孤独な散策者」そのものだからだ。

詩人は眩暈のする内面を握って泣くよりは、外に出て歩くことにする。歩いてみると、心の毒性が中和され、魂が清らかになる。目が留まるところに心も留まるはずだから。なるべく歩く道は、緑の山道であればなおさら良いだろう。最近では、散策者になれるのに適切な日々ではないか。私たちの心は弱くても、緑の風景はますます美しくなりつつあるから。