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時代の春

Posted April. 19, 2019 10:23,   

Updated April. 19, 2019 10:23

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4月には米ニューヨークでも桜祭りが開かれる。この時期、マンハッタンの東にあるルーズベルト島の並木道の桜約600本がソウル汝矣島(ヨウィド)のように華やかな花を咲かせる。マンハッタンの高層ビルを背景にイースト川の風に飛び散る桃色の桜の花の群舞は、ニューヨークの春にだけで楽しむことができる光景だ。13日(現地時間)に始まったルーズベルト桜祭りには、ニューヨークの長い冬に疲れた花見客約3万人が集まった。

今年のルーズベルト島の桜祭りが違うのは、桜の花の一つ一つが感動の人類愛と決して忘れてはならない辛い歴史を含んでいるためだ。この祭りは、東日本大地震が起きた2011年に始まった。米社会は地震と津波で家と家族を失った日本人に背を向けなかった。当時、日系米国人を中心に基金を集めるために桜祭りを始め、9年間続いている。

ルーズベルト島のメディア「メイン・ストリート・ワイヤー」は、「ルーズベルト住民協会(RIRA)とルーズベルト運営公社(RIOC)が桜を植え、日本人に献呈した。皆が協力して約1万ドルを募金した」とし、祭りの契機について語った。当時、韓国人がそうしたように米社会も率先して取り組んだ。3国が関係した侵略と征服の歴史は、苦境に陥った日本人への惻隠の心と人類愛の発現に障害にはならなかった。

イースト川の桜の並木道を歩いてみると、米国人が尊敬するフランクリン・ルーズベルト大統領を賛える「フランクリン・D・ルーズベルト・フォー・フリーダムズ・パーク(4つの自由公園)」に出会う。1941年1月6日、ルーズベルト大統領の「4つの自由(言論と表現、宗教、欠乏、恐怖からの自由)」演説から取った名前だ。この演説は、世界の人皆が享受する基本的4大人権のビジョンを提示した。

今年この公園に特別な作品が展示された。ルーズベルト大統領の銅像の視線が向かう欄干の上に手製の手の平サイズの黄色の器120個が登場した。日系米国人アーティストのセツコ・ウィンチェスター氏の作品「恐怖から自由(Freedom from fear)/イエロー・ボール(Yellow bowl)プロジェクト」だ。1941年の日本の真珠湾攻撃後、米国内の収容施設10ヵ所に収容された日系米国人12万人が感じた恐怖をそれぞれ異なる黄色い器120個で形象化したのだ。

ルーズベルト大統領が「4つの自由」を力説した1年後の1942年2月19日、米政府は大統領令で日系住民12万人を収容所に送ることを決めた。彼らの3分の2は米国市民、3分の1は子どもだった。日本の血が混ざっているという理由だけで収容所に送られた。ウィンチェスター氏は説明文に、「ほとんどが米国市民だった彼らは、(公園の)壁面に刻まれた『4つの自由』から排除された」と書いた。桜祭りが終わった後、作品は公園から片づけられたが、過去の過ちまでありのまま示そうと努めた米社会の歴史認識は祭りを訪れた人々の記憶の中に長く残るだろう。

77年前、日系米国人12万人は日本軍国主義の政治家の妄想と誤った判断、米社会の差別の犠牲になった。彼らが体験した苦痛は、日本による植民地支配の35年間「4つの自由」から排除された3千万の韓国人の苦痛と本質的に異ならないだろう。4月にニューヨークを訪れる韓米日の政治家がルーズベルト島に一度立ち寄るといいだろう。桜が散る前に。


朴湧 parky@donga.com