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ノートルダムでの戴冠式

Posted April. 18, 2019 10:05,   

Updated April. 18, 2019 10:05

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フランス・ゴシック建築の白眉に数えられるノートルダム大聖堂は、パリの象徴であり、重要国家行事が行われた歴史的場所だ。その中で、1804年12月2日に行われたナポレオン皇帝の戴冠式の場所として最もよく知られている。19世紀最高の画家であり、宮廷首席画家だったジャック=ルイ・ダヴィッドは、ナポレオンの命令で戴冠式の歴史的シーンをキャンバスに記録した。ルーヴル美術館で二番目に大きいこの絵は、幅がほぼ10メートルに達する大作だ。画面は、壮大なノートルダム大聖堂の中でナポレオンが妻のジョセフィーヌに王冠を被せるシーンを描写している。出席者はこのシーンを見ており、皇帝のすぐ後ろに座ったピウス7世は、右手を上げて祝福している。

果たして実際は本当にそうだったのだろうか。もちろんそうではない。画家の忠誠心と皇帝の傲慢さが相まって作られた架空の戴冠式のシーンだ。よく知られている通り、ナポレオンはローマ法王から王冠を奪って、自らの頭に被せた。ダヴィッドはこの不敬な状況を直接目撃したが、皇帝が皇后に王冠を被せるシーンを描画することにより、困惑した事は覆い、華やかな戴冠式そのものだけを浮き彫りにさせることに成功した。真ん中の来賓席に座った皇帝の母と左側に立っている兄のジョゼフは、実際は出席しなかったのに登場する。当時中年だった王妃は20代の美女に、矮小な皇帝は頑強な二枚目に変身しただけでなく、元のスケッチでは両手を膝の上に置いていた法王は、皇帝の要求により右手を上げて祝福する姿に変わった。

ダヴィッドは、皇帝の頻繁な気まぐれや要求に応えるため、何度も修正を重ねた後、丸3年に渡って絵を完成させた。1815年、ナポレオンが失脚した時、画家は祖国を離れなければならなかったが、彼が描いた歴史の一シーンと舞台は、フランスの象徴として今日まで多く愛されている。残念ながら、856年の歴史のノートルダムは15日に起きた火災で尖塔と屋根が崩れた。「私たちの一部が燃えた」というエマニュエル・マクロン・フランス大統領の表現は、フランス人たちの惨憺たる心情をそのままを代弁している。



李恩澤 nabi@donga.com